連載第12回 「映像と小説のあいだ」 春日太一
小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。
もちろん、原作がゼロから作品世界を生み出したのだから、その力が大きいことには違いない。
ただ一方で、映画やテレビドラマを先に観てから原作を読んだ際に気づくことがある。劇中で大きなインパクトを与えたセリフ、物語展開、登場人物が原作には描かれていない――!
それらは実は、原作から脚色する際に脚本家たちが創作したものだった。
本連載では、そうした見落とされがちな「脚色における創作」に着目しながら、作品の魅力を掘り下げていく。
『張込み』
(1958年/原作:松本清張/脚色:橋本忍/監督:野村芳太郎/製作:松竹)
『張込み』
Blu-ray:3,630円(税込)
DVD: 3,080円(税込)
発売・販売元:松竹
©1958 松竹株式会社
※2023年12月時点の情報です
「これが、自分が一週間ずっと見続けた、あの女だろうか……」
東京で強盗殺人事件が起きる。犯人の一人は逮捕されたが、もう一人の共犯者・石井は逃走していた。警視庁捜査一課の柚木刑事は、石井のかつての恋人・さだ子が暮らす佐賀に石井がやってくる可能性を指摘。自身も佐賀に向かい、さだ子の家の向かい側にある旅館の二階を借りて張り込むことにした。石井が目にしたのは、年の離れた吝嗇な銀行員の夫と単調なだけの日常生活を送る、さだ子の姿だった。だが、一週間が経っても石井が現われる気配は、一向になかった――。
これが、松本清張の短編小説『張込み』の設定である。映画版も、ここはほとんど変わらない。約一週間の張込みの末に石井は現われ、柚木がそれを逮捕するという結末も同じだ。逮捕に至る流れにも大差はない。
設定も展開も同じであるにもかかわらず、文庫にして三十ページほどの短編小説が二時間近い映画に化けている。なぜそれができたかというと、小説には描かれなかったいくつかの要素が、脚色の際に加わっているからだ。
まずなんといっても大きいのは、柚木(大木実)の同僚刑事・下岡(宮口精二)の存在だ。原作では柚木は一人でさだ子(高峰秀子)の張込みをしているのに対し、映画版は下岡と二人での張込みに変更している。
原作にも下岡は登場する。下岡が石井(田村高廣)を追うために柚木と列車で長距離の移動をするところまでは同じだ。ただ、原作では下岡は石井の故郷である小郡で途中下車している。つまり、柚木も下岡もそれぞれ別の場所で張込みをしているということだ。そして、この途中下車以降、原作に下岡は登場しない。
もう一つ、下岡の設定に変更がある。それは年齢だ。原作では、二人は互いに「君」と呼び合っていることから、同年代と推測できる。それに対して映画版は、「若い柚木」「ベテランの下岡」という、年齢の開いた設定になっていた。
この脚色が、効いた。まず、原作のまま柚木一人の張込みでは、その心情は全て心の中の独白で表現するしかない。しかも、場面の大半は旅館の一室だ。そのため、そのまま映画にすると芝居として組み立てにくいし、画としても動きがなくなる。それが、もう一人の刑事と共に行動させたことにより、「二人の会話」という形で表現できるし、室内の移動や内外の出入りも自然にできるようになった。そのため、芝居は組み立てやすくなり、画も立体的に浮かびあがらせることができる。
さらに、そこに年齢差をつけたことで、両者の経験値からくる反応の違いを浮び上がらせることにも成功している。つまり、経験不足の若さのために焦りを募らせていく柚木と、鷹揚な態度で自然と構えて待ち続ける経験豊富な下岡――ということだ。こうして生まれた双方の温度差により、張込みの中で交わされる何気ない会話にスリリングな緊張感が生じる。そのために、前半はずっと張込みが続くという、ともすれば退屈になりかねない展開に刺激がもたらされることになった。
それだけではない。下岡との比較を通して柚木の若さが強調されたことで、柚木自身の抱える問題も描きやすくなっているのだ。
原作に対して新たに付け加えられた要素として、柚木の私生活がある。映画版では、柚木には東京に恋人・弓子(高千穂ひづる)がいるという設定が足された。弓子の実家の貧しさのために、互いに結婚に踏ん切ることができない。一方、下岡の妻(菅井きん)からはお見合いを勧められていた。そのため、柚木は悩みを抱えていたのだ。
そうした柚木の葛藤は、張込みをしながらの回想として描かれる。明らかに幸福そうに見えないさだ子の結婚生活を眺めながら、柚木は自身の結婚に対しての葛藤を重ね合わせる。そのうちに、結婚に対して疑問が生じるようになり、どんどんネガティブに陥っていく。犯人を待つだけの張込みの現場が、より重層的な心理が描かれる場面に昇華しているのである。
やがて、石井はさだ子と密かに連絡を取り合い、さだ子は家を出ていく。柚木は異変に気づき尾行する。さだ子と石井は山奥の温泉宿で落ち合う。柚木は、石井と逢引きをするさだ子の姿に驚く。無表情のまま淡々と結婚生活を送っていた時と、まるで表情も口調も違うのだ。活き活きとした表情で、自ら積極的に石井に迫っている。その様を目撃した時の柚木の心情が、冒頭に挙げたセリフだ。
その後、柚木は応援を呼び、さだ子が風呂に入っている間に石井は逮捕される。何も知らずに湯から上がってきたさだ子に、柚木は今からバスに乗れば夫が帰るまでに家に帰ることができると伝える。全てを知り、崩れ落ちるさだ子――。
この、柚木の尾行から石井の逮捕までの展開は、映画版もほぼ原作通りである。だが、映画を観終えてから一連の場面を振り返ってみると、原作とは異なる印象になっていることに気づく。
原作は、無機質に乾いた生活からようやく逃れることができそうなところで全てを奪われた、さだ子の悲劇として描かれている。それは映画も基本的に同じだ。だが実は、そこにもう一つの視点が加わえられていた。
そのことに、ラストシーンで気づくことになる。原作は石井が逮捕されたところで終わるのに対し、映画はラストにもう一つシーンが足されているのだ。東京へ戻るべく、石井を連れて下岡と佐賀駅へ向かった柚木は、東京へ一本の電報を打つ。それは、弓子へのプロポーズだった。石井といる時の幸せそうなさだ子。家庭での感情を殺しきっているさだ子。その双方に触れたことで、柚木は気づいたのだ。生活の安定よりも、愛する人間との結婚を選ぶべきだ――と。このラストの追加により、本作は石井の刑事として、人間としての成長物語としても成り立つことになった。
そして、それは同時に、石井にそう気づかせるだけの幸福な様を、さだ子が見せつけたということでもある。たとえこれまで通りの日常に戻るにしても、さだ子は短いながらも輝かしい時間を過ごせた――。そう考えると、さだ子の人生にもいささかの救いがもたらされたのではないだろうか、という気がしてくるのである。
【執筆者プロフィール】
春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了。著書に『天才 勝進太郎』(文春新書)、『時代劇は死なず! 完全版 京都太秦の「職人」たち』(河出文庫)、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文春文庫)、『役者は一日にしてならず』『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇入門』(角川新書)、『日本の戦争映画』(文春新書)、『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)ほか。最新刊として『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)がある。この作品で第55回大宅壮一ノンフィクション大賞(2024年)を受賞。