【NYのベストセラーランキングを先取り!】物語後半に思わぬ展開が待つ、ルーシー・フォーリーの新作スリラー ブックレビューfromNY<第77回>

ジャーナリストだった兄が消えた

ルーシー・フォーリーの新作The Paris Apartmentのプロローグでは、主人公ジェスの兄ベン(ベンジャミン)は、妹がもうすぐロンドンからパリに到着し、自分のマンションにしばらく滞在する予定であることに対し、「来るタイミングが悪すぎる」とぼやいている。それでもジェスの携帯の留守電にマンションの住所を残し、着いたらマンションの入り口でブザーを鳴らしてくれれば下まで迎えに行くと言い残した。ちょうどその時、彼はドアをノックする音を聞いた。ドアの前には思いもかけない訪問者がいて驚いた。

ジェスとベンは母親は同じだが父親の違う兄妹だった。2人とも自分の父の顔を見たことはなく、幼くして母と死に別れてからは2人きりだった。しかし、ほどなくしてベンは裕福なダニエルズ家に養子として引き取られ、ジェスは、いろいろな里親の元を転々としながら育った。家族と共に休暇を海外で過ごすような生活をし、私立学校からケンブリッジ大学に進み、ジャーナリストになったベンとは対照的に、ジェスは教育もろくに受けることなく、職を転々とした後、ロンドンの場末の酒場で働いていた。そこで上司のセクハラに嫌気がさしたジェスは、パリでの再出発を決心し、兄にしばらく居候させてくれと頼んだのだった。

2時間遅れでロンドンを出発したユーロスター[2]がやっとパリに着いたのは金曜日の深夜近くだった。ジェスにとっては初めてのパリで、やっとの思いで、ベンが知らせてきた住所にたどり着き、門のブザーを押したが、兄がマンションから出てくる気配はなかった。門の中には三方を建物に囲まれた中庭が見えた。門はオートロックで、両側は忍び返しのついた高い塀になっている。この門以外にマンションに入る方法はなさそうだった。ちょうど住人らしき男が門から入ろうとしていたので、自分はベンジャミン・ダニエルズの妹で、兄が不在のようなので、建物の中に入れてもらえないかと頼んでみた。男は悪態をつきながらジェスを無視して中に入ってしまったが、ジェスはこっそり門の暗証番号を見ていたので、彼が見えなくなってから門を開けて中庭に入り、建物の入り口まで来た。ここも同じ番号で開いたので、3階まで上がり、ベンの部屋をノックしたが、やはり応答はない。ドアには鍵がかかっていたが、ジェスがフープ・イヤリングを曲げて鍵穴に差しこむと、鍵は難なく開いた(この方法は子供の頃にベンから教わり、今やジェスの特技だった)。

謎だらけのマンション住人たち

このマンションは、パリ市内の閑静な地区にたたずむ由緒ある古い建物だ。各階に1つの住居という贅沢な造りで、裕福に育ったとはいえ、フリー・ジャーナリストであるベンが住めるようなところではなかった。

ベンの部屋に入ったジェスは、ベンの上着が玄関近くのコートハンガーに掛けてあり、ポケットには財布と部屋の鍵が入っていることに気付いた。その夜は疲れてそのまま寝てしまったが、翌土曜日の朝から、ジェスは兄を捜し始めた。マンションの住人たちやコンシェルジュに兄の消息を聞いて回ったが、はかばかしい情報はなかった。

この小説はジェスやマンションの住人たち、コンシェルジュの独白で構成されている。各章で、それぞれの登場人物が思いを語るスタイルだが、住人たちはみな一癖も二癖もあり、突然のベンの妹の出現は、彼らの生活に有形無形の波紋を投げかけることになる。物語全体は、ベンがジェスに電話メッセージを残した金曜日の午後から、週末をはさんで月曜日までの出来事と後日譚である。

⚫︎ ペントハウスに住むソフィーは典型的な金持ちの有閑マダム、50代だがまだまだ美貌と美しいスタイルを保っている。夫ジャックはワインのビジネスや投資で財を成した。
⚫︎ 4階に住むミミはソルボンヌ大学芸術科の学生。父親が金持ちなので、こんな高級マンションに住んでいるらしい。女友達のカミーユと一緒に住んでいる。社会性に欠け、神経質なミミと、社交的、官能的で大雑把なカミーユのコンビはミスマッチに見えるが、それぞれ自分のペースで、適当に距離感を保って仲良く暮らしてきた。
⚫︎ 1階に住むアントワンは、ジェスが昨夜、門から中に入れてくれと頼んだけれど入れてくれなかった男で、粗野でアルコール依存症。妻ドミニックと土曜日の早朝に中庭で大喧嘩をし、妻はそのまま家を出てどこかに行ってしまった。
⚫︎ 2階に住むニックはまだ30代だというのに、どうやらIT関連の投資で財を成したようだ。
⚫︎ 中庭の片隅には小屋があり、コンシェルジュの老女が住んでいる。彼女は空気のように存在感が薄いが、このマンションで起きたことをすべて見聞きし、知っているようだ。

小説の前半では、登場人物たちの独白から、それぞれの人物像や、ベンが彼らに与えた影響、抱える秘密などが次第に明らかになっていく。ほとんどの住人は、ジェスに対して非協力的だったり、戸惑ったり、時には敵意すら示したりするなかで、ニックだけは同情的で協力的だった。ニックはベンのケンブリッジ大学時代の同級生で、ひと夏、他の学生も一緒にヨーロッパを巡る旅をした仲だった。卒業後は別々の道を歩んだが、3カ月前、偶然パリで再会し、家を探していたベンに、ニックは自分の住むマンションの3階が空き部屋になっているからと、格安の家賃で住めるように手配したということだった。

ニックからの助けも得て、ジェスは、ベンの残した財布の中にあった名刺の人物、ガーディアン紙の編集者テオ・マンデルソンを訪ねた。彼は、ベンが何か《大きなヤマ》を取材中だったようだが詳細は聞かされていないと語った。この取材と失踪は関連があるのだろうか? テオはニックほどフレンドリーというわけではなかったが、ベンがどんなスクープを追っていたかを探り始め、ジェスに協力した。

ところで、この小説の前半では、ベンの行方や安否に関してほとんど進展しない。ミステリー小説のつもりで読み始めた読者は期待外れに感じるかもしれない。事実、Goodreadsの読者評では、あまりに人物描写ばかりでストーリー展開が遅くて退屈なので、途中で読むのをやめてしまった、という厳しい評価もある。しかし、物語は後半に入ると一気に展開し、思わぬ方向へ進んでいく。

読み進むうちに読者は、登場人物たちが語る言葉の裏に真実が隠されていると感じ始めるだろう。ベンを親友だと言っていたニックは、次第にベンに対する苛立ちや不信感を吐露するようになる。このマンションで長期間、黙々と目立たぬように働いていたコンシェルジュも秘密を抱えている。ジェスと読者は、次第にこのマンションの住人同士やコンシェルジュとの間に濃いつながりがあることに気付き始める……。 そしてジェスに危険が迫る。

⚫︎ ジェスは、ベンの消息、安否を解明できるだろうか?
⚫︎ ジェス自身の身の安全は?

各階の部屋を繋ぐ秘密の螺旋階段、大量の高級ヴィンテージ・ワインを貯蔵する地下のワインセラー、ペントハウスからさらに梯子を上ったところにある昔の女中部屋。かつては伯爵夫人の邸宅だったという高級マンションを舞台にした失踪事件は、住民の誰もが怪しく見えてくる。USニューズ誌[3]は、「われらの元気いっぱいのヒロイン、ジェスは……ずっと若く、よりファッショナブルなミス・マープルのようだ」と、この作品をアガサ・クリスティの人気小説になぞらえて評している。

著者について[4]

ルーシー・フォーリーはロンドン生まれのイギリス人小説家。University College Londonとダラム大学で英文学を学んだ。編集者を経て、2015年に最初の小説The Book of Lost and Foundを上梓し、以来この新作を含め計5作の小説を発表している。前作The Guest Listは、2020年、ミステリー・スリラー部門でGoodreads Choice賞を取っている。ロンドン在住。

[2]Eurostar:英仏海峡トンネルを通ってイギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ国際列車。
[3]Review: Everyone’s a Suspect in ‘The Paris Apartment’ | Michigan News | US News
[4]Lucy Foley – Wikipedia

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2022/04/12)

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