採れたて本!【海外ミステリ#25】

採れたて本!【海外ミステリ#25】

 ニック・ハーカウェイはジャンルの垣根を軽やかに超えて、一人称すら削ぎ落とす歯切れの良い文体でいつも読者を魅了してくれる。デビュー作『世界が終わってしまったあとの世界で』は紛れもない終末SFだが、多くのサブジャンルが混沌とする世界観であるためか、冒険小説等を中心とする文庫レーベルである白背のハヤカワ文庫NVに収められた(父であるジョン・ル・カレと同じレーベルというのも大きいかもしれない)。ハヤカワ・ポケット・ミステリから同じくNVに入った『エンジェルメイカー』も、文庫で三冊組の大部であり、亡くなったギャングの父の足跡をノワール風に追いながらも、話のスケールはどんどん膨れ上がっていく。到達点はSFといってもいいだろう。

 そんなハーカウェイの最新邦訳『タイタン・ノワール』がSF文庫に入ったので、あれ、と思った。今回は直球勝負のSFなのかな、と思ったが、やっぱりジャンルの垣根を軽やかに超える作品だった。そもそもタイトルにノワールと謳われているのだけれど。

 トンファミカスカ一族が開発したタイタン化技術。タイタン化薬7(タイテイニアム7)を投与すると、肉体がいったん若返り、傷や病気も治るのだが、その過程で体格や骨密度が増大する。こうして巨人化するというわけだ。もちろん薬は高額だ。この世界では、巨額の富を持つ者だけが、巨大化した体を持つ、という社会の構造が出来上がっている。

 私立探偵であり、警察のコンサルタントを務めるサウンダーは、ある殺人事件の調査を依頼される。身の丈二メートル三十六センチ、年齢は九十一歳。銃で殺された男はタイタンだった。なぜ彼は命を狙われたのか? タイタン社会を揺るがしかねない事件の闇を、サウンダーは探ることになる。

 私立探偵とSFの相性が良いのは、後ろ盾を持たない一人の個人として、社会を見つめ、自分に何が出来るか探る私立探偵の目が視点として好ましいからだろう。エリック・ガルシア『さらば、愛しき鉤爪』は恐竜たちが交じった人間世界で恐竜私立探偵が奮闘し、鏡明『不確定世界の探偵物語』では常に歴史が変わり、存在も確かではない奇妙な世界を見つめる足場として私立探偵の語りが絶妙の味わいをもたらしている。

『タイタン・ノワール』にはもちろん、タイトルに象徴されるノワールの要素も含まれているが、ハードボイルドの響きも効果的に用いられている。タフで負けん気の強い探偵が事件のひだに分け入っていく読み味は、まさしくハードボイルドのものだ(悪漢に襲われて気絶するベタな流れまでやるし、クラブのオーナーによって決闘の舞台に上がらされるくだりは笑ってしまった)。一つ決定的に違うのは、ハードボイルドを語る主体である「私」という一人称も、ハーカウェイの文体は削ぎ落としてしまうことだろう。事件はサウンダーの視点で記述されるが、彼は自らのことを時折「自分」と表現するのみである。文体の特徴といえばそれまでなのかもしれないが、ハーカウェイはハードボイルドの周縁で足踏みしながら、あまりに私立探偵小説「的」に流れ過ぎるのを拒否しているように見える。サウンダーの苦悩が噴出しながら、事件関係者たちと切っても切り離せない一人の登場人物として、事件に相対せざるを得なくなる後半の展開のために、あえてそうしているのかも、と。

 いずれにせよ、切れ味鋭い文体に身を任せ、一気呵成に読める良作だ。SF好きにも、ミステリー好きにもおすすめしたい。

 やはりニック・ハーカウェイ、魅力的な作家だ。来年にはこの作品の続篇も本国で刊行予定だというし、父ジョン・ル・カレの代表シリーズであるスマイリーものを書き継いだというKarla’s Choiceも話題である。早く次の作品を読ませてほしい。

タイタン・ノワール

『タイタン・ノワール』
ニック・ハーカウェイ 訳/酒井昭伸
ハヤカワ文庫SF

評者=阿津川辰海 

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