「生誕70年!中上健次文学その意義と軌跡」をテーマに、島田雅彦×中上紀×高澤秀次がトークセッション

対談中

妻子を切り捨てたことによって生まれた『枯木灘』

高澤 非常に中上的ですね。ところで、きょうは時間的に具体的な作品論をやる余裕はないですが、ここで一つだけ。
先ほど、来年が没後25年と言いましたけれども、中上健次が『岬』で芥川賞をとって、今年がちょうど40年目。作品発表が1975年。76年に『岬』が芥川賞を受賞している。たまたま去年の暮れに出た集英社の「kotoba」という中上健次の特集号に島田さんが、新人について興味深いことを書かれていたので、紹介してコメントをいただきたいと思います。
島田さんはそこで、『岬』という作品は、戦後の芥川賞受賞作で言うと、安部公房の『壁』、小島信夫の『アメリカン・スクール』、大江健三郎の『飼育』と並べて、それに匹敵する画期的な作品だったということを書いています。ところで島田さんは『岬』を同時代的に読んでいたのですか。

島田 若干遅れました。というのは、自分が芥川賞を意識したというか、意識的に受賞作を読んだのは、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が最初だったと思います。私が中学3年のときでかなり話題になり、それを読んで、ちょっと安心したんです。何に安心したかというと、こんな文章でいいんだと安心した覚えがあります(笑)。
僕が中上さんの本を読んだのはそれ以後ですけど、もし最初に中上さんの作品読んでいたら、ああ、俺なんかだめだと思ったでしょう。だから、最初に読んだのが龍で良かった(笑)。高校になってからは、文科系の掃きだめの文芸部にいましたので、あれこれ乱読しましたが、その中で初めて同時代の文学のチャンピオン的な括りで、大江さんの後は中上さんだろうというようなことは、70年代後半の文学青年たちの間では一応の常識になっていましたね。

高澤 他にはどういう作家が?

島田 中上健次、村上龍の順番で出てきた後に、30代の村上春樹が79年ぐらいに登場する。でも、この方はジェネレーション的には完全に団塊なんだけど、書くもの自体がワンジェネレーション下の、当時学生だった私どものテーストに合わせたものというか、自動的に入ってしまったのかもしれないけれども、当時学生だった人世代に熱狂的に受け入れられたわけですね。
デモが終わった時代、学生運動も収束した時代に学生のビヘイビアが根本的に変わる。男女交際は、デモの後のフォークダンスでしかできなかったジェネレーションから、基本的にはスキー場に誘ってナンパする、夏は新島に行くみたいな世代。そういう一般的なナンパコースというのが成立して、その指南をする雑誌が若者たちの必須アイテムになる。「ポパイ」とか講談社の「ホットドッグ・プレス」。ああいう時代に変わっていったときに春樹はそのテーストに完全に合わせていたわけですね。
当時、江藤淳がすごく冴えていて、その辺の時代のうつろいを、龍まではまだヤンキー・ゴーホ―ムのメンタリティが残っている、それ以降の春樹からはない。さらにそれが決定的になるのは田中康夫という、クリスタルというカタログの世界だ、と看破していた。

高澤 江藤淳という人は文芸新人賞の選考委員だった時に田中康夫を褒めましたね。村上龍のことはめちゃくちゃ批判しましたが。
新人という話では、70年代に60歳で芥川賞をとった森敦さんの新人の定義がおもしろいんです。作家はまず自分の文学的親を決めなくちゃいけないと。多分、森敦さんの親は横光利一だと思います。つまり、それは文学的DNA、森さんは遺伝子という言葉を使っていたと思いますが、それを継承しなくちゃいけない。その次に、新人であるためにはその親を超えなくてはいけない。どういう形で超えるかというと、前人未到の新しいジャンルを切り開ける人を新人と呼ぶのだと言うわけ。彼が新人と具体的に名を挙げたのは梶井基次郎、中島敦、坂口安吾も入っていた。太宰治はどうかな? とも言っていました。
今や芥川賞選考委員ですけれども、島田さんにはずっと新人的なイメージがつきまとっていますが、島田さんにとって新人というものに対するこだわりはありますか。

島田 森敦さんの新人の定義というのは、かなりハードルを高く設定しているなと思います。育ってきた背景とかも違えば、テーストも違うとなれば、違っていて当たり前だし、文学というのは多様性の宝庫でなければいけないと思っていますのでね。もちろん、エンターテインメントのジャンルというのは、厳密なエンターテインメントの法則に従わなければいけないし、それでベストセラーを出さなければならないというプレッシャーは常に抱えているけれども、純文学のほうは、逆に今までにないものとか、あるいはそういうジャンル的に新しい道を切り開くとか、あるいはそれらを含めて、もう一個多様性をつけ足すようなものでなければならないというハードルは下げられないんじゃないかと思います。

高澤 島田さんのデビュー作に対して、当時、磯田光一という文芸評論家の『左翼がサヨクになるとき』という批評も出ました。

島田 あの方も非常にすぐれた文芸批評家だったと思いますけれども、晩年に私なんかにかまけて……(笑)。要するに、左翼文学史みたいなことをなさりたかったんだと思うんですよ。

高澤 埴谷雄高、大西巨人など戦後文学の系譜を踏まえてね。

島田 そういう感じの旧左翼の戦後派から始めて、最後は僕で終わる左翼文学史というのを書きたかったんだと思うんですけどね。

高澤 そういう見取り図をつくるのが大好きな人でした。

島田 大好きでしたよね。それで亡くなったわけですけれども、その後、変ないきさつで、大西巨人先生と会ったんですよ。

高澤 島田さんが?

島田 はい。そのときに、あの先生は意地悪で、磯田さんの『左翼がサヨクになるとき』という本をわざわざ持ってきたんですね。それで、ほらと見せるんです。知っていますけどと言ったら、ここを見てごらんと。漢字の「左翼」はそのまま黒い活字だから残っているけど、片仮名のほうは赤い活字になっているんですが、褪色してほぼ見えなくなっているって。

高澤 皮肉で言った(笑)。

島田 漢字の「左翼」はこんなに残っている。片仮名の「サヨク」はもはや消えかかっている。そういうふうに言われて笑っちゃったんです。

高澤 大西さんは、意外と茶目っ気のある方でしたからね。

島田 そうだと思います。

対談中
高澤 紀さんはどうですか。あなたよりも随分若い作家がどんどん後ろから出てきていますけれども、自分にとっての衝撃を受けた新人とか、いますか。

中上 ぱっと思いつかないというか、さきほどのお二人のお話の中の新人作家の定義のハードルが高過ぎて、いま衝撃を受けているところです。新人についてですが、私の考えでは、デビューまではある程度可能だと思うんです。ただ、新人作家って、あるハードルを超えないと永遠に新人作家で、そのうちいなくなってしまうという気がしています。その、あるハードルとは何かということを、もし私が言って良いのであれば、例えば「何かを捨てる」みたいなことをしないといけないんじゃないかと思っています。
というのは、新人には文学的な親が必要だと森敦先生が定義されたそうですが、私にとっては実際の親が文学的な親だったりするわけで。

高澤 実際にDNAを引き継いでいる。

中上 もちろん、津島佑子さんはじめ、尊敬している先輩方は何人かおります。けれども、父の場合は、少し違うというか、私たち家族は、父の文学世界の中で息をしてきた気がするんです。というのも、「岬」で芥川賞受賞した2カ月後ぐらいに、妻子が夜逃げしているんですよ。

高澤 小説にもエッセイにも書いてある。

中上 実際に逃げたのは夜じゃないので、夜逃げではなく昼逃げなんですけど(笑)。

高澤 緊急避難という感じでしょう。

中上 そのことはくっきりと記憶に残っている。父が妻子を捨てたのではありませんが、突き詰めると結果的にそうなってくるんですね。
その過程では様々な葛藤があって、『岬』を書いたことでいろいろなものを一つ超えたんだろうけれど、そこからどうしていくかということを新人作家として悩んでいたのではないか、と。それが父の場合、普通の新人作家以上にしがらみが多く、なおかつ兄の自殺、血縁関係の複雑さ、そして出自についてといった重々しい題材を、小説としてどう料理していくか、苦しんでいたと思います。
芥川賞をもらって、父は生活ががらっと変わり、自分に対しても周囲に対しても暴力的になっていきました。そんな中、故意ではないしろ、一回、いちばん大切なものであるはずの妻子を切り捨てたということが、作家として一つのステップになったんじゃないかと私は思っているんですね。妻子を捨てる、何かを切り捨てるみたいなことは、新人作家の一つの定義として、存在してもいいんじゃないかなと思います。

高澤 実際に妻子が出ていったときに『枯木灘』を書いている。

中上 そう、出ていった後に『枯木灘』を書き始めたし、あと『紀州 木の国・根の国』のルポルタージュも同時期に始まっています。一気に2つのことを始めているんです。一つは路地、もう一つは自分を生み出した紀州熊野に、とことん向き合うということを、その頃にやり始めた。元々の生活をしていたら、それはできなかったんじゃないかという気もしています。

高澤 ちょっと思い出しましたが、再開発途上の路地の聞き書きでは中上さんが最初に新宮でつくった文化組織、部落青年文化会の時代にオリュウノオバを初めとした、古老への聞き書きシリーズというのがありました。ごく最近、NHKの中上さんの番組の制作準備をされている人が紀さんの実家というか、お母さんのところへ行った際に、そのテープが出てきたようです。それは『日輪の翼』のオバたちのモデルになった人たちへのインタビューで、そのドキュメンタリー番組が11月ぐらいにオンエアされれば、もしかしたらその声が聞けるかもしれません。

中上 テープの存在は知っていたんですけれども、誰も中身を詳しく聞いたことはありませんでした。

高澤 アウトラインを聞きましたが、衝撃的な内容みたいです。
ところで今、紀さんから津島佑子さんの話がちらっと出ました。島田さんが、津島さん、中上さんたちと一緒におやりになった湾岸戦争反対署名というものがありましたね。あれは、文学者のそういう最初の署名であり最後の署名になるかもしれませんけれども、僕は湾岸戦争の戦争反対署名というのは、今、日本がこういう状況になったからこそ、別の重みを持ってきたのではないかと思うのです。島田さん、そのあたりはどうでしょうか。

島田 今も、そういう意味じゃ、重大な憲法違反たる立法がなされて、それまでは憲法との整合性ということを考えた上での自衛隊の派兵だったわけです。いずれにせよ、歴代の政権はその都度、9条のトリッキーな解釈はしてきたんですけれども。

高澤 解釈改憲。

島田 解釈改憲ということを重ねてきたんですけれども、その最初の大きなターニングポイントになったのが湾岸戦争のときだったかなと。
その後、小泉政権のときに同じような解釈改憲がありましたけれども、いわば90年でしたか、あそこが大きなターニングポイントだったろうと思います。

高澤 ちょうど冷戦が終結して直後にという形でしたね。

対談中
島田 そんなこともあって、ずっとつながっている感じはします。
今年春に柄谷行人さんが岩波から『憲法の無意識』という新書を出されました。憲法9条というのは解釈改憲で裏切られ続けてはきているけれど、それを変えないできたことが、そのままアジア・太平洋戦争への反省であると同時に、明治憲法下における幾多の戦争と富国強兵近代化政策、それらに対する一つの罪悪感の表明のような形で、深く日本人の意識の中に、70年間弱にわたって無意識を形成してきたという。その考え方からすると、憲法は一種の教典みたいなもので、道徳の根源をキリスト教世界では聖書に求めるのと同じような意味で、憲法というものが我々の意識の中に深く入り込んでいると。
それもわかるんですけれども、一方で、それと対立する日米安保とか、あるいは対米従属とかの問題がある。

高澤 沖縄の問題もあるし。

島田 そう、沖縄の問題も含めてです。そういうアメリカの占領状態から完全に独立することは実質不可能という思い込み、言うなればアメリカという超自我、我々日本の独立とか日本人の精神的自立とかということでもって自我を確立しようとしても、超自我たるアメリカが作用していて、その抑圧からはなかなか抜け出せないという思い込みというか、無意識がぐちゃぐちゃに混じり合っている。基本、自民党政権でさえも対米従属の基本方針というか、こういう無意識に手をつけようとはしていません。それでも、これは日本の自立ということと大いに矛盾するので、その矛盾を一気に解消しようと思ったときに憲法に手をつけようという起源になると思うんです。
要するに、戦前に回帰するという身振りが、唯一、対米従属という事実を忘れられる瞬間になるというわけ。言うなれば、アメリカによって神経症というか、精神病状態に置かれているものが、それを逆転しようとしたときに、日本会議みたいな主張になってしまう。あれは一種のヒステリーですね。

高澤 ただ、今のお話では、日本にとって、あるいは日本人にとってのアメリカというのは、まだ超自我というよりも意識のレベルだと思うのです。柄谷行人が今回の本で言っているのは、憲法9条に関わる超自我とはアメリカからの押しつけといった行きがかりを超えた日本人の無意識とかかわる問題だと言っているわけです。それともう一つ大事なのは、それが天皇、憲法1条とも関係していることです。つまり、結果的に柄谷さんは、昭和天皇と区別して、現在の天皇(制)を暗に肯定したことになるわけですね。それも日本人の無意識としてあるということで。

島田 冷戦も崩壊して、ソ連邦も崩壊した92年以降ですけれども、ベルリンの壁の崩壊の時期と昭和の終わりというのは、時代的に重なる。

高澤 同じ年に当たるのですね。

島田 はい。昭和天皇というのは、何だかんだいって、右翼からも左翼からも非常に畏敬の目で見られていた人物ではあるので、戦争責任問題というのは、アメリカの都合もあるんだけれども、最後まで曖昧にしたままみまかったということです。基本、その後を継いだ今上天皇は、そうした謝罪の問題、責任の問題というのは深く自覚しておられると思うんですよ。それが、結局、護憲リベラル天皇という今の天皇のあり方になり、これは昭和だとあり得なかったと思うんですけれども、平成の時代において、今上天皇が選びとった一つの天皇のあり方だと思います。

高澤 これしかなかった。

対談中
島田 そうです。要するに、60年代あたりには、現天皇と同世代の大江健三郎氏とは全然交差するところはなかったかもしれないけれども、天皇として即位して以降、このおふたりが、ここ10年来、護憲リベラルという部分でとても似ているような気がしてしようがなくて。一方で、そういう護憲リベラルのスタンスを陛下がとればとるほど、自民党極右の人々がその天皇を蔑ろにする憲法だけじゃなくて、陛下も蔑ろにしていることになっている。

高澤 極右にとって困るわけですね。

島田 彼らにとっては、ある意味、はた迷惑な存在と映るのかもしれません。

高澤 憲法を守ると明言しましたからね。

島田 そうです。しかし、こういう言い方をすると天皇の政治利用と誤解されかねませんけれども、自民党極右の人たちは、公然と現天皇の御意向に反している逆賊なのだから、いずれ天誅も……などということを、何で片仮名サヨクが言っているのかという(笑)。

白石一文著『記憶の渚にて』は直木賞作家による傑作長編!著者にインタビュー!
純文学をへの扉を開いてくれた記念すべき一作『智恵子抄』