逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』◆熱血新刊インタビュー◆
希望までを描くこと

作家にとって、特にデビュー作が大ヒットした場合は、第2作がとびきり重要だ。逢坂冬馬はデビュー作に続き、第2作『歌われなかった海賊へ』でも戦争を書いた。自分はどういうものを書いていく作家なのかと読者に知らしめるためではなく、書かねばならない、という判断からだった。
「『同志少女〜』は前線にいる兵士の視点を採った物語でしたが、その視点では決して描けないものがありました。戦争に参画しない、あるいは戦争の論理に飲み込まれることを拒絶する人間の姿です。義務感と言ったらおかしいんだけども、そこを書き残したままでは、他の方向には進めないという感覚があったんです」
ただ、もともと逢坂はアマチュア時代、多様な題材や舞台に挑戦する書き手だった。
「3作目も同じ系統に進んでいった場合、近代のヨーロッパの戦争という素材が、逢坂冬馬という小説家の作風であると捉えられかねない。次は、ガラッと印象を変えたい。現代日本が中心となる話にします、と早い段階で周囲に宣言していました」
当初は全く別の話を書く予定だったが、「自分の力量が足りず、企画を凍結することに」。そこで2024年の2月末、編集者ら数名と膝を突き合わせて話し合う機会が設けられた。
「ある編集者から、世界の紛争であるとか過酷な現実に、日本が関わっているということを示せる小説はどうかと言っていただきました。別の編集者からは、短編連作的な構成にしていろいろな視点を入れるのはどうか、と。また別の方からは、善悪のあわいを行くようなものが読みたいです、とリクエストをもらったんです。打ち合わせが終わった頃には、自分の中で答えは出ていました。〝ということは、自動車だな〟と」
自動車をモチーフにすれば、3つのリクエスト全てを叶えることができる、と判断したのだ。
「日本製の車は故障が少なく長く乗れることもあり、途上国などで〝第二の人生を送っている〟というニュースはたまに聞きますよね。そこで日本と海外とが自然に繫がるし、車の一生を所有者で区切っていけば短編連作風にもできる。文明の利器である反面、凶器にも兵器にもなるという現実を見ていけば、善悪のあわいを突かざるを得ないものになる」
1台の車を中心に回る群像劇、という軸を決めると、芋蔓式でプロットが出てきたという。
「車の一生のスタート地点はどこかなと考えた時に、自動車工場で作られている風景が浮かび、自動車期間工の青年を最初の視点人物とすることにしました。その後も何代かオーナーが変わったところで、じゃあ最後は……と。打ち合わせした日の夜には、全体の構成がほぼ固まりました。この物語の中に、自分が書きたいものがたくさん眠っていたんです」
自分らしく生きるには、社会の側が変わらなければいけない
少し長めのプロローグで描かれるのは、28歳の自動車期間工・本田昴の現実だ。静岡の工場で寮生活を送りながら働く彼は、東京に残してきた恋人・世玲奈との思い出を反芻しながら、膿んだ日常をツイッターで発信してきた。2年11ヶ月に及ぶ雇用期間の最終日、終業前に携わることとなったのは、「ブレイクショット」というSUVのボルトを締める作業だ。ところが終業間際、同僚がボルトを車内に落としてしまう場面を目撃する。何も言わなければ、自分も同僚たちもこのまま仕事から放免されるのだが──。
その選択を宙吊りにしたまま、本編は幕を開ける。「一章 マネー、ライフ、ゲーム」の主人公は、品川にオフィスビルを持つ新興ファンド・ラビリンスの役員である霧山冬至だ。続く「二章 取り柄は善良さ」では、川崎の工務店に勤める後藤友彦が同じ車の新たなオーナーとなっている。
「ブレイクショットを新車で買って乗り回している人は、お金持ちのパワーエリート。その次になんとかローンで中古車を買えたという庶民の目を出せば、1台の車を通して社会階層を表現することができると思いました」
息子同士の交流を通して、霧山と後藤の人生は繫がっている。そして、それぞれの仕事の現場で直面することとなる問題もシンクロしている。
「霧山も後藤も、所属する共同体にとって正しいことをすべきか、それとも自分にとって正しいことをすべきかで悩みます。〝グループで認められるためには、多少は悪いこともしなければいけない。自分を曲げなければダメだよね〟というロジックは、この小説の中に何回も出てくるんです。人間が複数集まると、グループ内で序列を作ってしまうし、その中だけで通用するロジックを作ってしまうものなんですよね。そのロジックを突破するとしたら、どういう力を持った人間なのか? そこが各話の主人公たちにとっての課題であり、僕自身にとっての課題でもありました」
三章以降も現代社会のさまざまな共同体にフォーカスが当てられ、共同体の論理が袋小路化していった先に訪れる困難を、個人の視点から浮き彫りにしていく。サッカー、不動産業界、投資系 YouTuber とセミナービジネス、アフリカの少年兵……。
「ホモソーシャル(女性と同性愛を排除した男同士の結びつき)的なものは批判されるべきだということが社会の共通認識になりつつある一方で、ホモソーシャルそのもので構成されていて、それが疑いようもない世界になっているのが競技スポーツです。現状は基本、男性と女性を分けるしかないじゃん、というところから始まっているわけですから。そんななかで、共同体の論理によって押し潰されてしまっている個人の声がある。競技スポーツとセクシュアリティの問題を突き詰めていこうと決めた時、この小説に芯が貫かれたなと思いました。自分らしく生きるということを貫徹するためには、共同体の側、社会の側が変わらなければいけない。そのことが、ここで最も強烈なかたちで書けると思ったんです」
各話ごとに異なる共同体を舞台にしている、と聞くと読みこなすのが大変だと感じるかもしれないが、驚くべきリーダビリティが実現している。そして──ボルトの外れたブレイクショットはどうなったのか? プロローグで醸し出された不吉な予感がいつ回収されるのかが、ページをめくる推進力の一つとなっている。
「章をまたぐと話は途切れているように見えるんだけれども、途切れていない。その構造に、あらゆる個人と個人は繫がっているし、あるいは僕らの日常生活は必ずどこかで世界と繫がっているという現実を反映したつもりです。近代ヨーロッパを舞台にした過去2作でもそのことは書いていたんですが、今回はよりラディカルかつ実感的に提示できたと思っています」
〝大事なのは診断ではなく、処方箋のほうでは?〟と思うんです
各話の結末部では、絶望、と称さざるを得ない風景も顔を出す。
「書店員さんから、前半の章を読んで〝この書き手は鬼なのかと思った〟と言われました(笑)。家族という共同体が、誰が悪いわけでもないのに破綻してしまうという話を書いてみたかったんですよね。因果応報では語れないものだからこそ、ここで描いたようなことが明日の我が身に起こるかもしれない、と感じてもらいたかった」
絶望を生々しく描くからこそ、強い輝きを放つものがあるのだ。
「物語を通して、今生きている社会の闇や絶望だけを提示することに、僕が小説を書く意味はないんじゃないか。たとえて言うとそれはお医者さんが情け容赦なく診断を下しながら、決して処方箋だけ書かないっていうような態度であって、〝大事なのは診断ではなく、処方箋のほうでは?〟と思うんです。自分がやりたいのは、社会の闇や絶望を提示したうえで、希望までを描くことなんですよね」
誰かの絶望は、別の誰かの絶望と繫がっている。それと同時に、誰かの希望は、別の誰かの希望と繫がっていく。この物語を読み終えた時胸に宿るのは、後者の連鎖の想像力だ。
「今の自分が書くべきものは何かを、自分だけで考えたものではなかったからこそ、〝 希望までを描く〟という地点にまで辿り着くことができたのかなと思っています。今後しばらくは、逢坂冬馬のどんな小説が読みたいか、いろいろな人の意見を聞きながら作ってみたいですね。本作を書いたことで、期待されるものがこれまでとはまた変わってくると思うので、本作を踏まえてそういう話を色々な人としていきたいですね」
自動車期間工の本田昴は、2年11ヶ月の寮生活最終日、同僚がSUVブレイクショットのボルトを車体内に落とすのを目撃するが。マネーゲームの狂騒、偽装修理に戸惑う板金工、悪徳不動産会社の陥穽──移り変わっていく所有者たちの多様性と不可解さのドラマ。8つの物語の「軌跡」を奇跡の構成力で描き切った、『同志少女よ、敵を撃て』を超える最高傑作。
逢坂冬馬(あいさか・とうま)
1985年、埼玉県生まれ。明治学院大学国際学部国際学科卒。2021年、『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞してデビュー。同書は2022年本屋大賞、第9回高校生直木賞を受賞、第166回直木賞候補となった。2023年には第2長編『歌われなかった海賊へ』を刊行、第15回山田風太郎賞の候補となった。