【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第13話どえむ探偵秋月涼子の忖度
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真琴さんは、それから三日間、大学を休んで、じっくりと考えた。あの電車の中にいたあいだ、なぜ自分の気持ちがだんだん沈んでいったのか──ただ沈んでいっただけではない、なにか苦い、不快な塊がうごめいて、なぜそれがあれほど重苦しく感じられたのか──。
だが、結局はわからなかった。だから、それは忘れないように憶えておくことにして、今度は別のことを考えた。あの痴漢退治は、楽しくはなかったろうか。たしかに、楽しい部分はあった。痛快でさえあった。それに、涼子はとても一生懸命だった。一生懸命で、それがとても可愛かった。
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三日目の夜、涼子を部屋に呼んだ。
涼子は今、裸にされて、ベッドに腰かけた真琴さんの前に行儀よくひざまずいている。
「お姉さま。涼子、とっても反省しています。ごめんなさい」
「そうなの?」
真琴さんは、涼子を安心させるため、優しく頭を撫でてやった。
「涼子、今から自分のいけなかったところを、告白いたします。ですから、どうか許してくださいね」
「告白か」
真琴さんは、喉の奥で満足そうにちょっと笑った。
「すごくいい響き。じゃあ、告白してみて」
「はい。涼子、お姉さまの気持ちを勝手に忖度して、余計なことをしてしまったんじゃないかと思いますの。どこが余計なことだったのか、まだよくわからないんですけど。やっぱりMの涼子は、Sのお姉さまのご命令を尊重すべきだと思いましたわ。勝手に涼子が忖度するんじゃなくて、はっきりしたご命令を待つべきでした。それができなかったから、お姉さまは不快にお思いになりましたのね」
真琴さんは、少しおかしくなる。「ご命令を尊重」なんて言って、実際に真琴さんが命令しても、その半分くらいは、ああだこうだとまくしたてて、結局は訂正させてしまうのが、涼子の涼子たる所以ではないか。
「本当に、涼子は可愛いね」
真琴さんは、両手で涼子の頬を挟み、軽く口づけてやった。涼子は、見る間に上気していく。
「でもね、涼子。そんなに謝らなくてもいいんだよ。わたし、ちっとも不愉快な思いなんてしなかったんだから」
真琴さんは、嘘を言った。
「ただ、例の痴漢退治であんまりいい役をもらったから、照れくさかっただけ。だからね、涼子。忖度したって、いいんだよ。ただ、行動に移す前に、もうちょっと具体的にどんなことを始めるのか、教えてくれるとうれしいかな」
「これからは、きっとそうします」
「いい子だね。それで……例の痴漢三人組だけれど、あれから結局、どうなったの?」
「そのことですわ、お姉さま」
涼子は、ぐっと上体を起こして、楽しげにしゃべり始めた。
「蘭子先輩と和人くんが、一種のクラブみたいなのを作ってるの、ご存知ですよね」
「クラブっていうより、ハーレムだろ? わたしも同じようなの、作ってみたい」
「まあ、お姉さま。いけませんわ……それでですね、そのハーレムの女の子たちの下男として、あの三人を雇い入れたんですって」
「本当に?」
「それで、とっても恥ずかしいご奉仕をさせているんですって。でも、あの三人も、すごく興奮しちゃって、新しいMの喜びを感じているらしいんです」
「本当かなあ」
「証拠の動画も、いただいてきましたの。顔はボカしてありますけど……身体つきから、あの三人ってわかりますわ。ご覧になります?」
涼子は、カバンからスマホを取り出した。
「見たい……けど、見ない」
「あら、どうしてです?」
「わたしがそれを見て、ああ羨ましいなあ、わたしも下男つきの美男美女ハーレムがほしいなあ、なんて思ったら、涼子はどんな気持ちがする? それよりも、今は、わたしのMは涼子だけでいいっていうのと、どっちがいい?」
「もちろん、お姉さまのMは、この涼子一人ですわ」
「じゃあ、見ないことにしよう」
「ありがとうございます」
「さあ、反省会も終わったことだし……」
真琴さんは、ベッドをポンポンと叩いた。
「ここにおいで。キスしてあげる。このあいだは涼子にたくさんしてもらったから、今夜はわたしがお返し」
「いいえ、いけません、お姉さま」
「どうして?」
「なぜって……」
涼子はもじもじしながら言った。
「涼子、まだ罰を受けていませんもの。お姉さま、あんまりMを甘やかしてはいけません。叱るときはきちんと叱らないと、涼子きっと、どんどん生意気になってしまいます」
ああ、そうか……。
真琴さんは、涼子の求めに応じてやることにした。
「そうだね。勝手なことをしたMには、厳しい罰をあげないと。でも、痴漢退治であんなにがんばったから、涼子が一番好きな罰にしてあげる。涼子は、どんな罰がいいの?」
「お姉さま、ご存知のくせに……」
涼子がいそいそと真琴さんの膝の上に乗ってきた。
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一時間後、二人はベッドの上、毛布にくるまってぴったりと抱き合っていた。
「ねえ、お姉さま?」
「なあに?」
「お姉さまに、一つだけ、お願いがありますの」
「言ってごらん」
「お姉さまに、ご自分の力を、もっと大胆に使っていただきたいんです」
「わたしの……力?」
「ええ。今回のことで、おわかりになったでしょう? お姉さまが一言なにかおっしゃれば、涼子が動きますし、涼子が動けば、和人くんも蘭子先輩も動きます。もっとほかの人だって、お姉さまが望みさえすれば、涼子が動かしてご覧に入れますわ。お姉さまにそれだけの力があるってこと、知っていただきたいし、その力を使いたいときには、お好きなだけ使っていただきたいんです」
「それが一種の力だとして……それは涼子の力だろう? わたしのじゃない」
「涼子はお姉さまのものなんですから、涼子の力は、お姉さまの力ですわ」
そうかもしれない……。そう思うと、三日前から感じていた重苦しいものの正体が、わかった気がした。真琴さんは、そんな力が──いつまで持ち続けることができるかはわからないものの、少なくとも今のところだけは、使おうと思えば使うことのできるその力が──厭わしかったのだ。涼子が厭わしいのではない。涼子に付随しているもの、涼子は今それを「力」と呼んだが、別の呼び方をすれば、複雑に絡み合い粘ついた糸の塊のようなもの──それが真琴さんには重苦しかったのだ。
だが、そんなことは、涼子には言えなかった。言ってもおそらく伝わりはしないだろう。
「そうだね。ありがとう」
真琴さんは、ただそう答えた。
◆おまけ 一言後書き◆
今回は、掌編とは言えないほど長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。次回は、ぐっと短いものになる予定です。
2019年10月18日
美咲凌介(みさきりょうすけ)
1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。
初出:P+D MAGAZINE(2019/10/26)