【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第13話どえむ探偵秋月涼子の忖度
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「M──株式会社といえば、わたしの祖父が会長を務める会社じゃありませんか。加賀美家の名に泥をなすりつけるなんて、許せません。すぐに祖父に連絡して、この三人は解雇してもらいます。それだけでは済みませんよ。会社の評価を落としたのですから、損害賠償の訴訟も起こします」
「あら、親戚に県知事が一人と、市長が二人いるというのがご自慢の、加賀美さまじゃありませんか」と、涼子。いつもは「蘭子先輩」とか「加賀美先輩」とか呼んでいるのに、今日は変に他人行儀だ。これも痴漢たちに威圧感を与えようとする作戦の一つなのか。
「まあ、秋月さま。さっきから可愛らしい声で、少女探偵、少女探偵と、バカなことを叫んでいらしたのは、あなたでしたの?」
二人は、顔を見合わせ、「ホホホ……」と笑い合った。
声のした方角から考えて、どうやら蘭子さんはしばらく前から、前の車両のほうにいたらしい。頃合いを見て、この後ろの車両に乗りこんできたのだろう。左右にはボディガードなのか、二人の男を従えている。
「それで、秋月さま。痴漢の被害にあわれたというのは、あなたですか」
「いいえ、あたしは囮になっただけですわ。本当に被害にあわれたのは、新宮さまです」と、涼子は真琴さんを前面に押し出すようにする。仕方なく、真琴さんは前に出た。
「まあ!」
──と、蘭子さんは一声あげて、痴漢たちのほうに振り向き、
「あなたたちも、この町に住んでいるなら、秋月家のお名前はご存知よね。その秋月家のお嬢さまが、下にも置かぬもてなしをしているのが、この新宮さまという方よ。わたしもよくは存じませんが、どれほどの実力のある一族のお嬢様か……そんな方に痴漢をして、無事で済むと思っているのですか」
庶民(しかもかなり貧乏)の娘の真琴さんが、ずいぶんと出世したものだ。
痴漢たちはじっと押し黙っている。蘭子さんが登場したあたりから、すっかり元気がなくなったようだ。今では、和人くんの連れてきた男子たちに引き据えられて、三人とも床にへたりこんでいる。
「そう言えば、萩原の若さまもいらっしゃいましてよ」
涼子の声に、真琴さんが視線を移すと、和人くんはずいぶん脇のほうに引っ込んでいた。それだけではない。なんだか具合が悪そうに、胸を両手で抱えるようにして縮こまっている。もっとも、ちらりと目が合ったときの表情から察するに、どうやらそれも演技らしい。
「まあ、そうですか。あら……若さま、若さま? どうなさったんです?」
「ああ、加賀美さん、実は痴漢を取り押さえるのに、ぼくも手を貸したんですけど、そのとき抵抗されて……」
噓つけ。お前は、痴漢の手にヨウ素液を塗りつけただけじゃないか。そして、そのとき抵抗のできない痴漢たちの腹を殴りつけていただろう。
だが、蘭子さんはそんなことは知らない。痴漢のほうを振り返ると、さっきよりいくぶんか低い、だがかえって怒気を孕んだ声で──
「あなたたち、若さまを傷つけたの? 加賀美家、秋月家に加えて、萩原家まで敵に回して、生きていけると思っているのですかっ。まずは警察に……この電車の終点は、H──駅ですね。あの駅のそばに警察署がありますから、そこに突き出しましょう。警察にも知り合いはたくさんいますから、話はすぐに通ります。あなたたち、わかりましたね」
痴漢たちは、うなだれたまま、一様に小さくうなずいた。
「まあ、それがいいでしょうなあ」と、弁護士先生の穏やかな声がした。
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また、わき腹をつつかれた。気がつかなかったが、涼子がさっきから合図をしていたらしい。
ああ、そうか……。
真琴さんの、二度目の出番が来たのである。
「あの……みなさん?」
しばらく前からずいぶん静かになってしまった車両の中に、真琴さんの少しハスキーな声が響く。
「少しだけ、わたしの話を聞いてください。わたしは思うんですが……その三人の痴漢にも、家族がいますね?」
「それが、どうかなさったの?」と、蘭子さん。
「もちろんわたしも、痴漢行為には非常に強い怒りを感じていますが、それはこの三人だけの罪であって、家族の人たちには関係がありません。しかし、もし警察に突き出してしまえば……それからさっき加賀美さんの言ったように、会社を解雇、そして訴訟ということになればですね……家族の人たちも気の毒なことになってしまいます」
「それは、自業自得というものでしょう」と、再び蘭子さん。
「ええ、この三人にとっては、その通りです。でも、家族の人たちは、そうではありません。それで……今、明らかに痴漢の被害にあったのは、ここではわたし一人だけです。少女探偵の秋月さんは……」
ここで真琴さんは少し笑ってしまいそうになったが、それをぐっとこらえて(だが、さっきから、笑いとは別の妙な気分に胸がむかついてもいるのだが)──
「秋月さんは囮捜査をしたわけで、しかも痴漢に触られても平気な装備……ですか? 特殊な衣服を身につけていたわけですし……それで、どうでしょう? わたしが頼めば、この人たちを警察に突き出すのと、解雇するのを、考え直してもらえますか?」
突然、薄ハゲが頭を床に擦り付けた。
「お願いしますうっ。お願いしますうっ」
──と繰り返す。真琴さんは、今度は吐き気をこらえながら続けた。
「わたしとしては、その三人には十分に反省してもらうとして、家族の人たちにはなにも影響が出ないような処置をしてほしいんです」
「新宮さまが、そうおっしゃるのなら……なにか別の方法を考慮してみましょうか」
落ち着いた声で、しかし怒気は消さないまま、蘭子さんの声が答えた。
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真琴さんの耳元に、涼子が囁く。
「お姉さま、あとは蘭子先輩たちに任せて、あたしたちはそろそろ引き上げましょう」
電車はちょうど、真琴さんの降りる駅に到着するところだった。蘭子さんと和人くん、二人が引き連れてきた人々、それに弁護士が、三人の痴漢たちを取り囲んでいる、その輪から真琴さんと涼子は、そっと抜け出した。
「あそこにクルマを待たせています」
改札を出ると、涼子は片手で真琴さんの腕をとり、もう一方の手で駐車場を指さしながら言った。
「さあ、いっしょにお姉さまのお部屋に参りましょう。今夜は、外泊の許可をとってあるんですの」
だが、クルマの側までくると、真琴さんは涼子の腕を振りほどいた。
「ごめん。一人で帰る」
「どうして」
涼子の二つの目に、不安が広がっていく。真琴さんは、両腕で涼子の身体をぎゅっと抱きしめてやった。
「心配しないで、涼子。ただ、ね……さっきからモヤモヤして、このまま二人でいると、涼子につらく当たってしまいそう。だから、今夜は一人で帰るよ。大丈夫、三日寝れば治るから。わたしは、いつもそうなんだ。三日ゆっくり寝たら、ちゃんと元に戻る。約束しようか……三日後に、また涼子を部屋に呼ぶから。そのときは……ね? そうそう。それまでに、蘭子さんと和人くんがあの痴漢たちをどう処分したのか、ちゃんと聞いておいて、わたしに教えてね」
「お姉さま?」
涼子の目は、もう涙であふれそうになっている。真琴さんは、その背中を静かにクルマのほうに押しやって──
「ほら、早くクルマに乗らなきゃ。涼子、お前は今、とっても変な格好してるんだよ。アルミのブラジャーなんか着けちゃって。だから……ほら、ね?」