ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十二回 犯罪者を送り込まれた宿主の苦悩

 

「個人情報」という壁

 

 前田が生活保護を受給している自治体は品川区だ。しかし居住先は品川区ではなく、宿泊所がある台東区である。実はこうしたケースは、山谷の簡易宿泊所では散見される。生活保護に関する業務を行う東京都福祉保健局の担当者はこう話す。
「生活保護を受給している区以外の簡易宿泊所を使ってはいけないという決まりはありません。区によっては施設に限りがあるため、やむを得ず、簡易宿泊所が多い区を一時的に利用することはあります」
 生活保護受給者の多くは、受給先の区福祉事務所に居住先を相談する。東京都福祉保健局が作成した生活保護運用事例集によると、事務所の助言を受けて他区の簡易宿泊所などに滞在する場合、助言した区は、滞在先の区の福祉事務所に報告をするよう定められている。前田の場合であれば、品川区が台東区の福祉事務所に報告しなければならない。しかし、このルールには法的拘束力がないため、あまり守られていないのが実情のようだ。台東区と荒川区にまたがる山谷地域の簡易宿泊所には、両区以外の生活保護受給者が多く居住しているが、このルールが厳密には守られていない結果、両区はその存在すら把握していない場合がある。滞在期間が「一時的」というのも、実態には即しておらず、長期滞在に至る受給者も多い。こうした現状について台東区保護課に問い合わせると、担当者は迷惑そうな声を上げた。
「他区で生活保護を受けている人が山谷地域にいるのは知っていますが、通知がない場合が多いので困っています。特に、台東区の簡易宿泊所が迷惑を受けているのであれば由々しき事態です」
 つまり、今回、逮捕された前田は、台東区が知らない間に、品川区から送り込まれた可能性が高い。それによって台東区にある簡易宿泊所のAさんが迷惑を被った、という構図だ。しかも、Aさんが品川区福祉事務所に問い合わせた時点で、前田が犯罪者である可能性は把握されていた。

山谷地域を南北に走る吉野通り(旧都電通り)沿いには昔ながらの居酒屋が残っている
 

 品川区福祉事務所に問い合わせると、担当者は「個別のケースについてはお答えできない」と述べた上で、こう説明した。
「詐欺に関わっているという情報を聞いたところで、福祉事務所としては犯罪捜査に立ち入る権限がありません。仮に本人に確認をしたとしても、『やっていない』『覚えていない』という回答がほとんどで、それ以上の調査をするのが難しいのです」
 捜査への立ち入り権限については、生活保護法第28条に定められている。とはいえ結果的に前田は逮捕されており、Aさんも事前に事務所に通報しているのだ。担当者は続ける。
「客観的証拠があれば、警察には連絡はします。一般的なところで言うと、被害届が出されていないということであれば、仮に詐欺まがいの情報が上がってきたとしても、警察には連絡しづらいのが現状です」
 生活保護受給者の居住先については、本人の希望を踏まえつつ、金銭管理や自炊、対人関係、病院に通えるか否かなど、本人の生活能力を総合的に判断した上でアパート、支援団体の施設、簡易宿泊所などに割り振る。その際、本人の経歴などについては個人情報保護法の観点から、宿主やアパートのオーナーには伝えない。
「犯歴があれば確かに宿主にお伝えしたほうが良いとは思います。ところが宿主が他人にその情報を漏らさないとは限らず、やはり個人情報に関わってしまいますのでお伝えできないのです」
 法に基づいた正論かもしれないが、宿主に犯歴を伝えれば、受け入れを拒否される可能性があるため、個人情報を「盾」にしているようにしか聞こえなかった。担当者は続ける。
「生活保護受給者で生活能力の低い方が、簡易宿泊所に行き着いてしまうことは実際にあります。受け入れて頂いた経営者たちには大変なご苦労があり、ご迷惑をお掛けしてしまったという認識もあります」
 現行の制度下では、受給者が犯罪者予備軍や前科者であることを福祉事務所が把握していたとしても、滞在先には知らされないまま、送り込まれているのだ。そして受け入れた簡易宿泊所で迷惑行為があれば、宿主は「ばば」をつかまされたと対応するしかないのが、コロナ禍の山谷で浮かび上がった新たな問題である。

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