ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十二回 犯罪者を送り込まれた宿主の苦悩

 

謝罪から一転、脅迫

 

 Aさんは8月半ば、退去を勧告する手紙を前田の部屋のドアノブに貼り付けた。すると翌日、フロントにすっ飛んでくるなり前田はこう言い放った。
「退去勧告されたことを友達に相談したところ『謝ったほうが良い』とアドバイスを受けたので、謝罪に来ました」
 弁解の仕方に違和感を覚えながらも、あまりの勢いで許しを請うので、受け入れようと思った。ところが、前田は屁理屈をこね始めた。Aさんが回想する。
「話し始めて間もなく、『他の奴らもタバコ吸ってんだ!』と主張し出したのです。話もかみ合わなくなってきたため、別の宿泊所を探すようお願いしましたが、自分の落ち度に苛立ったのか、自分に向かって怒鳴っていました」
 前田は別の宿泊所を探し始めたようだが、なかなか見つからないのか、出ていく様子は見られない。トイレの貼り紙も再び破られていたため、確実な証拠をつかもうとトイレ内にまで監視カメラを設置した。プライバシーの侵害に当たることは承知していたが、もはやそうせざるを得なかった。映像で確認すると、張り紙を破った張本人は前田であることが確定した。
 今度こそ退去を迫る最後通告の手紙をドアノブに貼り付けた。間もなく、前田は部屋からフロントに電話を掛けてきた。
「前田の声や音から部屋でキレまくっているのが分かりました。壁なのか、何かを蹴飛ばし、暴れているんです」
 その言葉はエスカレートし、恫喝や脅迫に変わった。
「俺は弁護士を雇うことにした。お前を訴える。何日か後には書類が届くから覚悟しろよ! 俺には脳に障害があるのに、退去を迫るのか!」
 恫喝は長時間に及んだ。Aさんは他の宿泊客の対応もしないといけないため、受話器をしばらく置きっぱなしにしたが、それでも前田はしゃべり続けていた。
 再び受話器を取ると、
「覚えてろよ!」 
 前田はそう吐き捨て、電話を切った。
「訴える」と言った前田の言葉が頭の片隅に引っかかった。そのせいでAさんは眠れなくなった。
 後日、品川区福祉事務所の担当者に電話で相談をしたが、予想外の反応が返ってきた。
「訴えるとまで言われましたが、大丈夫でしょうか?」(Aさん)
「それは本当に訴えられるかもしれません。彼は高次脳機能障害を抱えているので、彼にも分がある。もし訴えられたら、負けるかもしれません。悪質な弁護士もいて、宿泊所側が訴訟で負けることはありますので、気を付けて下さい」(福祉事務所)
 担当者からは、前田との電話のやり取りを録音していたのかも尋ねられた。前田からの電話だとは予想していなかったため、録音はしていなかった。Aさんは追い詰められていたと、当時の胸中を明かした。
「かなり悩みました。恫喝された時、表向きは平静を装っていましたが、福祉事務所から『負けるかもしれない』と言われた言葉がリアルに響き、怖くなりました」
 別の日に福祉事務所の担当者に相談した時には、前田が犯罪者であることをあたかも知っているかのような口振りだった。
「前田さんが悪事をはたらいているのは知っています。でもお金になっていないらしく、失敗しているみたいですね。反社会勢力には属していませんが、反社に使われているような人です」
 Aさんはこう訴える。
「反社会勢力ではないにしろ、犯罪者であることを知っていながら泳がしているのはいかがなものか。警察に通報したのかも問い合わせましたが、『警察も追っているらしい』と言うだけ。私も警察に通報しようかと考えましたが、実際に伝えたところで動くかどうか分からないし、福祉事務所を通したほうが良いと思いました」
 Aさんの要請で福祉事務所の担当者が前田に働き掛け、別の宿泊所が見つかった。その連絡が担当者から届いたが、別の宿泊所には前田による犯罪の疑いについて伝えないよう口止めされたという。
「次の宿泊所にお伝えしたい気持ちはありましたが、受け入れを拒否される可能性があります。だから僕も少し罪の意識がありました」
 前田は9月上旬、宿泊所をチェックアウトし、近くにある別の宿泊所へ移動した。以来、彼の姿を見掛けることはなかったが、突如として舞い込んだニュースが、前田の逮捕だったという。
「騙されたであろう女の子の声がまだ耳に残っているんです。『夢を実現させたいんです』って。そういう純粋な思いをあの男は踏みにじっているわけですよね? そのことも福祉事務所に伝えましたが、『被害届が出されていないので犯罪の立証ができない』の一点張りでした。でもだからと言って泳がせてよい理由にはならない。少なくともうちも責任を感じています」
 Aさんがさらに調べたところ、前田は2011年にも、インターネットで知り合った女性をホテルに呼び出し、わいせつな行為をしたうえ現金10万円を奪ったとして逮捕されていた。その際も芸能関係者を装っていたことから、同様の手口の常習犯とみられる。
 品川区福祉事務所は、前田の素性を知っていながら、宿泊所へ送り込んだのだろうか。

スピリチュアル探偵 第18回
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