ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十五回 「あしたのジョー」で町おこし 吉原と山谷に挟まれた「いろは会商店街」の今
「商店街は幕を閉じるところまできている」
今や日本の地方都市なら、シャッター通りと化した商店街は、特に驚くような光景でもないだろう。ただ、そこで生活をしている人々の声を拾っていくと、かつての賑わいや活気が目の前に立ち現れてくるような錯覚に陥った。それが日雇い労働者の街なら、尚更だった。
吉田さんの寝床から吉原の方へ100メートルほど、いろは会通り西端の一角に、窓から白い煙がもうもうと立ち込め、やきとりの香ばしい匂いが漂っていた。間口わずか1メートルの場所で、「平乃屋」の店主、青木照廣さん(72)が、焼き台の上で串を手早く回していた。午後4時に店が始まると、近所の住人たちが続々とやって来る。売っているのはとり、つくね、レバの3種類で、1本50円。少々こぶりだが、今どきこの価格でやきとり屋をやっている店は珍しいだろう。
「はい、いらっしゃい!」
青木さんの威勢の良い声が飛ぶ。
「塩とたれ10本ずつ。ちょっと買い物行って来ます」
と女性客は注文を伝え、去って行った。
間もなく女性が戻ってくると、青木さんが声を掛けた。
「緊急事態宣言が明けたから、帰りにみんなで1杯なんてやれるんですか?」
「いや、会社からまだ大丈夫と言われていないので」
やきとりを焼いているわずかな合間にも、そんな挨拶程度の会話が弾む。常連客ならではのやり取りだ。
青木さんは火曜日から土曜日までの週5日、やきとりを焼いている
青木さんは、いろは会商店街振興組合の理事長を務める。商店街の現状を尋ねると、こう嘆息する。
「昔は買い物のお客さんがぞろぞろと歩いてくれていたんですけど、今は全然いないでしょ。その時はずっと焼きっぱなしだから、こうやって水谷さんと話してられなかった。通りには、少し先が見えないくらい人が歩いていたよ。暇になってきたのはここ10年か20年ぐらいかな。時代が変わってねえ」
青木さんが焼き鳥店を始めたのは半世紀以上前の、20歳の頃だ。焼き台の側に置いてある、容器に入ったたれも、その当時から注ぎ足しで使っている。そうして毎夕やきとりを焼きながら、商店街が移り変わっていく様を、見つめてきた。
「お客さんが歩いていない商店街になっちゃったので、生き残ってくのは相当難しいですね。アーケードも取っちゃったから、丸っきり商店街らしさがなくなった。困ってはいますけど、恐らくこの先はないでしょうねえ。もう暗いです。商店街が幕を閉じるところまで来ている。100年の歴史がある商店街ですけど、あと何年もつか……」
青木さんの口から出てくるのは、寂れゆく商店街の実情を憂える言葉ばかり。取材を申し込んだ時、「昔は良かったね、なんて話をしても仕方がない」とあまり気が進まない様子だった。それでも会ってくれることになり、今年8月半ば、いろは会通りのちょうど中央にある同振興組合事務所で待ち合わせた。中に入ってみると、前日に降った雨の影響で、床が水浸しになっていた。雨漏りがしていたのだ。青木さんは雑巾を手に腰を下ろし、床を拭いていた。
「もう古いからダメなんだよ」
事務所の老朽化も、商店街の今を映し出しているように見えた。