D・スティールのロマンス小説がヒット・今アメリカで一番売れている本は?|ブックレビューfromNY【第15回】

もう1人の愛人

小説のタイトル“The Mistress” はもちろんナターシャのことだと思う。しかし、この小説の重要な登場人物の1人も23年間にわたって愛人生活を送っていた。

メイリス・ルカは有名な画家、ロレンゾ・ルカの未亡人。現在63歳。20歳の学生だった時にサン・ポール・ド・ヴァンス[5] を絵のモデルのアルバイトで訪れ、当時60歳だったロレンゾ・ルカに恋をして、そのまま学生もやめて同棲生活を始めた。ロレンゾは貧乏な画家だったし、40年前に結婚、イタリアに残した妻がいたので、メイリスはロレンゾと結婚することはできなかった。メイリスの家族は心配したが、彼女は聞く耳を持たなかった。ロレンゾはある意味芸術家らしい芸術家で、メイリスと会う前にすでに4人の愛人との間に7人の私生児がいた。成人したこの子供たちは、誰も父親の芸術の才能を受け継がなかった。

画商のガブリエルはロレンゾの才能を認め。絵を売り出そうとしたが、ロレンゾ自身が自分の絵に執着を持ち、売るのを嫌がった。愛人であるメイリスがレストランで働きながら家計を支えた。それでも時々売りに出されたロレンゾの絵は、希少価値もあって高値で売れた。メイリスは33歳(ロレンソ72歳)で妊娠、男の子テオフィル(テオ)を生んだ。テオが10歳の時、ロレンゾのイタリアの妻が死んだため、メイリスとロレンゾはようやく正式に結婚した。その頃、ロレンゾの絵の価値を確定するには、権威あるオークション・ハウスに出品する必要があると考えた画商のガブリエルは、ロレンゾの絵をクリスティーズのオークションにかけた。思った以上の高値で落札され、絵の価値は揺るぎないものとなった。

91歳で死んだ時、ロレンゾは自分の絵を所有していることで大資産家になっていた。その絵は遺産として妻のメイリスと嫡子であるテオの2人が相続した。18歳のテオは、幼い時から絵の才能を見せ、パリのフランス国立高等美術学校(Beaux-Arts:ボザール)に通っていた。

メイリスはロレンゾの死から立ち直れず、何も手につかなかった。ロレンゾが死んで5年が過ぎた頃、貧しい夫を支えて働いた昔を思い出して自宅をレストランに改造、ロレンゾの絵を飾って客に見せることにした。一流のシェフ、ソムリエ、支配人を雇ったこともあり、ロレンゾの絵を鑑賞できるレストランは予約が取れないほどの人気となった。レストラン経営はメイリスの生きがいとなった。テオはその頃には学校を出てサン・ポール・ド・ヴァンスに戻り、アトリエ兼自宅の小さな家で絵の制作に打ち込んでいた。画商のガブリエルは父親代わりの存在で、そろそろテオも自分の画廊を持ったほうが良いとアドバイスした。

ある日、ブラディミールとナターシャはメイリスのレストラン「ロレンゾ」を訪れた。その日はたまたま支配人が病気で休みだったため、臨時でテオが店に出ていた。ブラディミールはレストランの壁にかかるロレンゾの絵を1枚どうしても買いたいと言って、「売り物ではない」というメイリスと押し問答になった。その場はおとなしく引き下がったブラディミールだったが、ロレンゾの絵を扱うガブリエルのパリの画廊には翌日匿名で絵を買いたいという申し出が来た。クリスティーズでの落札値の2倍支払うというのだった。その値段で売ることは、ロレンゾの絵の価値を高めるために必要であると、テオとガブリエルはメイリスを説得、売ることに同意させた。1時間後にガブリエルの画廊の口座には絵の代金が振り込まれ、テオが絵を「プリンセス・マリーナ」に届けに行った。

実はテオは、レストランでナターシャを見かけてから魂を奪われたようになっていた。母親のメイリスは、「彼女はブラディミールのような権力者、金持ちの愛人という職業なのだから、手の届く存在ではないのよ。忘れなさい。ブラディミールと別れてもまた誰か別の男の愛人になるだけよ」と諭した。ロレンゾのすべてに自分の生涯を賭けたかつてのメイリスとは全く違う《職業としての愛人》が存在することをメイリスはよくわかっていた。それでもナターシャの姿が忘れられないテオは、彼女のポートレートを描き始めていた。

ヨットに絵を持って行くと、ブラディミールは不在、ナターシャが受け取った。そして、ヨットの中をテオに案内した。ナターシャはまだ、テオがロレンゾの息子で、自身も画家であることを知らなかった。レストランの従業員が絵を届けに来たと思っていた。

ついにテオはナターシャのポート―レートを完成させた。ボザール時代からの親友である彫刻家のマークは、その出来栄えに感嘆の声を上げた。

テオの作品2点が、ロンドンのアート・フェアにニューヨークの画廊から出品された。そのアート・フェアにブラディミールと一緒に来たナターシャはテオと遭遇した。そこで初めて、テオが画家であることを知ったのだった(ロレンゾの息子であることはまだ知らない)。

テオの初めての個展が1月にパリで開かれた。ブラディミールがパリに買った新しい家のインテリアを任されていたナターシャは、ブラディミール不在の間、画廊めぐりをしていて、またも偶然にテオの個展を訪れた。そして、飾られていた自分のポートレートを見て驚愕した。テオにその作品を買いたいと申し出たが、突然のナターシャの出現に動揺したテオは、無断でポートレートを描いた罪悪感も相まって、この絵はもう売れてしまったと嘘をついた。ナターシャはカタログに載っているテオの履歴を見て、初めてテオがロレンゾの息子であることを知った。

翌日テオはナターシャのポートレートを丁寧に包装し、ブラディミールとナターシャの新居へと向かった。ポートレートを贈呈すると言われたナターシャはありがたく受け取り、そのあと2人は近所のカフェで簡単なランチを食べた。ナターシャが愛人としての「道」を踏み外す第一歩だった。そのことに気付き、そして自分はブラディミールの保護がないと生きていけないと思ったナターシャは、以後テオと顔を合わせても冷たい態度を取るようになった。しかし、ブラディミールとナターシャの関係は今まで通りというわけにはいかなくなっていた。ナターシャは今まで無意識に目をそらしてきたブラディミールのダークな面に気づき始めて、彼を全面的には信頼できなくなっていた。またブラディミールも、テオが描いたナターシャのポートレートを見てテオの気持ちを察し、ナターシャにも疑問を持ち始めていた。

[5]フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県コミューン。多くの芸術家たちがサン=ポール=ド=ヴァンスを訪れた。マルク・シャガールは20年間このコミューンで暮らした。ジェイムズ・ボールドウィンはサン=ポール=ド=ヴァンスで没している。

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