【直木賞・『銀河鉄道の父』が受賞!】第158回候補作を徹底解説

2018年1月16日に発表された、第158回直木賞。前回、見事に受賞作を佐藤正午の『月の満ち欠け』だとピタリと当てた、文芸評論家の末國善己氏が、今回も予想!結果は、門井慶喜『銀河鉄道の父』でしたが、当初の予想はどうだったのでしょうか?候補作5作品のあらすじと、その評価ポイントをじっくり解説した記事を、ぜひ振り返ってみてください!

前回の直木賞を振り返り!

今回の直木賞予想も、まずは前回の答え合わせから始めたい。
第157回の直木賞は、佐藤正午『月の満ち欠け』を本命、宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』を対抗、木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』を穴と予想した。結果は、佐藤正午『月の満ち欠け』の受賞だったので、またも的中となった。北方謙三の選考経緯によると、次点として争った宮内悠介の『あとは野となれ大和撫子』は、『月の満ち欠け』の半分以下の点数しか集められなかったというので、圧勝での受賞だったことが分かる。
これまで2回直木賞の予想を行ってきたが、彩瀬まる『くちなし』、伊吹有喜『彼方の友へ』、門井慶喜『銀河鉄道の父』、澤田瞳子『火定』、藤崎彩織『ふたご』が争う第158回は、様相が大きく異なっている。候補者は全員30代から40代、デビューしたのも彩瀬が2010年、伊吹が2008年、門井が2003年、澤田が2010年であり、藤崎に至ってはデビュー作が候補に選ばれたので、直木賞の原点に回帰したかのような新鋭の戦いになっているのだ。
過去2回は、“ベテランが優位”という近年の傾向なども踏まえて本命を選んだが、その法則が使えない今回は予想が難しくなっている。それだけにこの予想が当たったか、外れたかだけでなく、選考委員がどのようなプロセスで受賞作を選び、選評に何を書くかにも着目して欲しい。そうすると今回の直木賞がより楽しめるだろう。
以上を踏まえて、第158回直木賞の候補作を作家名の50音順で紹介していきたい。
選考委員は前回と変わらず、浅田次郎、伊集院静、北方謙三、桐野夏生、高村薫、林真理子、東野圭吾、宮城谷昌光、宮部みゆきの9名である。

候補作品別・「ココが読みどころ!」「ココがもう少し!」

彩瀬まる『くちなし』

くちなし_書影
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4163907394
宮木あや子、山内マリコ、窪美澄ら人気作家を送り出している「女による女のためのR-18文学賞」を受賞してデビューした彩瀬は、直木賞にノミネートされたのが今回が初となる。『くちなし』は、幻想的な設定を施した短編集である。
表題作「くちなし」は、人体の一部を自由に取り外せる世界を舞台にしている。女優志望の「私」は、スポンサー企業の社長アツタさんと不倫関係になる。「私」は芽が出ないまま女優を辞めて就職したが、アツタさんとの関係は10年も続いていた。だが二人の関係がアツタさんの妻に露見し、別れを切り出された「私」は、アツタさんに腕が欲しいという。アツタさんの腕と暮らし始めた「私」の前に、妻が腕を取り戻しにやってくる。「私」は、肉体の量と愛は相関関係にあると考えていた。アツタさんの体も心も手に入れようとする妻の重い愛と、肉体の断片を軽やかに愛している「私」の対比は、人を愛する意味を問いかけており考えさせられる。
「花虫」は、運命の相手に出会うと、相手の体に花が見える世界を描いている。美術学校に通う「私」は、モデルのユージンの体に花が咲いているのを目にする。ユージンも、「私」の体に花を見たという。恋に落ちた二人はやがて結婚するが、「私」の弟の研究チームが「運命の花」のメカニズムを解明したことで、ユージンと「私」の仲は変容していく。人は自由意思で何か選択していると思いがちだが、その判断には政治、経済、文化など様々な要素が(意識的なものも、無意識も含め)影響を与えている。「運命の花」は、人間の思考や感情を縛るものの象徴なので、この作品を読むと、本当に自分は自由意思で何かを決めているのか不安になるはずだ。
「けだものたち」は、蛇に変じた女が愛する男を貪り喰うなど、人間が動物に変じる社会を描いている。結婚した男女は同居するが、朝になると仕事に出掛け、互いが何をやっているのかも、どんな生態なのかもよく分かっていない。この設定は、男女のコミュニケーションの難しさの暗喩に思えた。
日本に来る難民が増え、メイドなどとして家庭にも入っている近未来を舞台にした「薄布」には、難民の少年を使って着せ替え遊びをする女性が出てくる。「薄布」は、セクハラやパワハラが単純にジェンダーの問題ではなく、金銭や権力を持てば誰もが加害者になり得る現実を暴いているのが強く印象に残る。
『くちなし』に収録された7作は、優れた幻想譚であり、現代のアクチュアルな社会問題を掘り起こす秀逸な寓話にもなっている。ただ短編集の宿命として、作品の質にバラつきがあるのは否めない(幻想色が強い作品が面白く、弱いものはいま一つ)。また「くちなし」は川端康成に、「花虫」は貴志佑介に、すぐに想起できる先行作(ネタバレになるのでタイトルは伏せる)がある。男性作家が作った設定を女性の視点で読み替えたと見ることもできるが、アイディア勝負の短編で似た作品があるのは、やはりマイナスに作用するだろう。

伊吹有喜『彼方の友へ』

彼方の友へ_書影
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4408537160
伊吹は、家族の再生をテーマにした『ミッドナイト・バス』に続く2回目の直木賞ノミネートである。
1930年代、実業之日本社発行の雑誌「少女の友」は、表紙、挿絵、付録などを手掛けた中原淳一、少女同士の友情以上恋愛未満の感情(いわゆる「S」)を題材にした川端康成、吉屋信子らの小説、宝塚歌劇団とのタイアップなどで、モダン趣味の少女たちに愛された。だが戦時色が強まると、実生活に役立たない“美”を前面に押し出していた「少女の友」は批判され、1940年には中原淳一も降板している。
伝説の少女雑誌「少女の友」をモデルにした「乙女の友」の編集部で働き始めた少女の成長を描く『彼方の友へ』は、この激動の時代を舞台にしている。
1937年。大陸に渡った父が失踪したことで裕福な暮らしが一変した佐倉波津子は、印刷所で働く幼馴染みがこっそり持ってきてくれる「乙女の友」の試し刷りを宝物にしていた。音楽学校への進学も諦めた波津子は、椎名三芳が開く音楽私塾で通いの内弟子になっていたが、三芳が関西に引っ込むことになり行き場所をなくしてしまう。そんな波津子に、親戚が「乙女の友」で働かないかと声をかけてくる。親戚は、波津子に主筆・有賀憲一郎の動向を探らせたいようなのだが、波津子は自分が命じられたことの意味を十分に理解しないまま、編集部で働き始める。
憧れの「乙女の友」編集部に入ったものの、大学も出ていなければ、編集の経験もない波津子は、何をしていいのか分からない。貧しい少女がチャンスをもらい、厳しい上司、エキセントリックなクリエイターたちに揉まれながら仕事に邁進していく展開は、王道の少女小説であり、お仕事小説といえる。ただ、この展開そのものが、教育格差によって、進学や就職の機会を奪われている少年少女が増えている現状への批判になっていることも忘れてはならない。
やがて戦況が厳しくなると、波津子の同僚や友人が徴兵されたり、作家が逮捕されたりするようになる。少女たちに美しいものを届けようとする「乙女の友」の編集方針も当局に睨まれ、一部の読者も「乙女の友」の批判を始める。このような時代に、波津子たちが本当に大切なものを守るために静かな戦いを続けるところが、本書のクライマックスになっている。時代の風向きが少し変わるだけで、自分の愛するものは強大な権力によって簡単に奪われる。その現実を指摘する後半は、国家のためなら個人の権利や自由など制限しても構わないという風潮が強まる現代社会と、どのように向き合うべきなのかを問い掛けておりテーマは重い。
『彼方の友へ』は、スパイ小説のような始まりが活かされていなかったり、終盤で唐突にミステリ的な仕掛けが出てきたりと(謎解きが始まると、前半から伏線があったことも分かるのだが)構成に弱点もあるが、ダイナミックな物語と深いテーマを融合させた手腕は見事である。その一方で、かなりの大部なだけに、戦前の少女文化やジュヴナイルが好きな読者だと、作中に出てくる作家のモデルが誰かなどを想像する楽しみもあるが、それに興味がないと中盤に冗長と思われかねない部分があり、評価がわかれる可能性も高い。

門井慶喜『銀河鉄道の父』

銀河鉄道の父_書影
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門井は、明治時代を舞台にした時代ミステリ『東京帝大叡古教授』、家康による江戸の町造りを連作形式で描いた『家康、江戸を建てる』に続く3回目の直木賞ノミネートとなる。
農民の生活向上のための私塾・羅須地人協会を設立し、献身や自己犠牲をテーマにした童話、妹の死を題材にした詩「永訣の朝」などを残した宮沢賢治は、弱者に寄り添い穏やかな人生を送ったと思われがちだ。ただ実際の賢治は、法華経に傾倒し、浄土真宗の熱心な信者だった父と口論するなど、エキセントリックな一面も持ち合わせていた。『銀河鉄道の父』は、そんな賢治を父・政次郎の視点で描いている。
1896年。古着の仕入れに京都を訪れていた政次郎は、父の喜助から長男誕生の電報を受け取る。1ヶ月ほど故郷の岩手県花巻に帰れない政次郎は、喜助に命名を依頼していて、長男は賢治と名付けられる。ここから政次郎の父としての苦悩が始まる。
質屋を営んでいた喜助は、封建的な家父長だった。政次郎は小学校の成績がオール「甲」だったにもかかわらず、喜助の「質屋には、学問は必要ねぇ」の一言で進学を断念し、小学校の卒業後は店の手伝いを始める。喜助を尊敬しているが、反面教師にもした政次郎は、「家族みんなが意識たかく」「家そのものを組織」としなければ弱肉強食の明治の世に商家は生き残れないとして、近代的な“家庭”を作ろうとする。
よき父でありたいという政次郎は、賢治が赤痢で入院した時、感染の危険をものともせず、付きっ切りで看病する過激な行動に走らせたり、喜助の反対を押し切って賢治の中学進学を後押ししたりする。面白いのは、父が何をしても許してくれる、助けてくれることを知っている賢治が、近所の悪ガキたちとイタズラをしたり、欲しい物をねだったりと奔放に振る舞うことである。
賢治の幼少期は美化された逸話が伝わっているだけで、実像はよく分かっていない。門井は、父の愛を利用する賢治と、息子を愛しながらも曲がった道に進まないように導こうとする政次郎のユーモラスな駆け引きを通して、今まで見たことのない等身大の賢治を描いている。政次郎は家業の質店を大きくした実業家にして、仏教の講習会や文化事業なども熱心に行う町の名士だったが、貧しい農民から金を搾取しているとの悪評からは逃れられなかった。門井は、賢治が家業を継がず、貧しい農民に尽くそうとしたのは、自分が富裕層に生まれ何の不自由もなかったことに忸怩じくじたる想いがあったからとする。こうした政次郎と賢治の父子関係から浮かび上がらせた独自の賢治像は、実際の賢治はこんな人だったのかもと思わせるリアリティがある。
政次郎は、まだ封建的な家父長が多かった時代に、近代的な父であろうとして様々な壁にぶつかる。これは明治の特殊な事情に思えるかもしれない。ただ現代も、父は外で働き母は家庭を支えるのは古い、父と母が協力して家事も育児も行う方向に改めるべきとされているが、まだ十分に新しい価値観が定着したとはいえない。その意味で封建主義と近代的な父に引き裂かれた政次郎は、今の男性が直面している問題に近い存在といえる。旧世代の喜助には頼りないと思われ、新世代の子供たちには翻弄される政次郎の姿には、身につまされる男性読者が多いように思える。
ドナルド・キーンの評伝『石川啄木』は、私娼窟に通っていたなど啄木の意外な顔を指摘して話題を集めたが、これは啄木の「明治四十一年日誌」や「明治四十二年ローマ字日記」に書かれており、ある程度の近代文学を知識があれば周知の事実だった。『銀河鉄道の父』も同じで、特に資料が増える賢治の後半生はよく知られたエピソードが続くので、賢治の生涯や文学に詳しくない読者と、賢治のファンでは受ける衝撃が違ってくるだろう。また後半になると、賢治の視点で物語が進むことも多くなり(最愛の妹トシが東京で入院し、賢治が看病のため上京するところなど)、政次郎の目から見た賢治というコンセプトが揺らいでいる点も気になった。

澤田瞳子『火定』

火定_書影
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かつては松本清張、黒岩重吾らが名作を書いた古代史ものの歴史小説だが、一時期は目にする機会が激減していた。近年、この古代史ものが、静かなブームになっている。この流れを作ったのは、間違いなく、奈良の大学寮を描いた『孤鷹の天』でデビューした澤田である。江戸時代の天才絵師を主人公にした『若冲』に続き2回目の直木賞候補作になった『火定』は、澤田が得意とする古代史もので、藤原四兄弟の命を奪ったことでも知られる天平時代の裳瘡(天然痘)の大流行を題材にしている。
光明皇后が貧しい人たちを救うために建てた施薬院と悲田院だが、その実態は、藤原四兄弟が自分たちの善政を喧伝するために設置した施設に過ぎず、出世に無縁な場所として医師や官吏から敬遠されていた。下級官吏の蜂田名代もその一人で、施薬院は町医者の綱手らの尽力で何とか支えられたいた。そんな時、帰国した新羅使が大陸から持ち込んだ天然痘が、寧楽の都で猛威を振るう。綱手は運び込まれてくる患者たちを懸命に救おうとするが、施薬院の仕事を嫌っていた名代は、綱手らの献身に心動かされながらも進むべき道が決められないでいた。
その頃、皇族を診察する地位にまで昇り詰めるも、同僚に陥れられ牢獄に入った過去がある猪名部諸男は、牢で知り合った詐欺師の宇須と行動を共にしていた。民衆を操ることで社会に復讐しようとしている宇須は、天然痘が治るという触れ込みの偽りの神「常世常虫」の札を売り、莫大な利益をあげていた。さらに札を売るため、宇須は天然痘の原因になった新羅の民を殺せば天然痘の流行は終わるとの風説を流す。
作中には、天然痘によって都にあふれた死体、それが夏の熱気で腐敗していくところなど、目を背けたくなるような描写も多い。また火事場泥棒のような宇須、危機的な状況にありながら“自分さがし”をやめない名代、卓越した医師の技量を活かそうとしない諸男のほかにも、他人を蹴落としてでも生き延びようとする者や庶民の苦しみを黙殺し保身に走る政治家など、人間の弱さと醜さも徹底的に活写されていくので、読み進めるのがつらくなるほどである。ただ社会の“闇”が徹底的に暴かれるからこそ、悩みも迷いもする等身大の綱手らの活躍と、それを目の当たりにして少しずつ変わっていく名代たちの成長といった“光”の部分が、胸を熱くしてくれるのである。
天然痘という不条理に恐怖した人たちは、新羅の民を殺せという宇須の煽動によって、心に溜めていた鬱屈と怒りを新羅の人たち、さらにほかの外国人にも向ける大暴動を起こす。古代の日本では、最先端の知識や高い技術を持つ外国人は尊敬されていたが、それでも社会の均衡が崩れれば心の奥底に秘めた差別感情がむき出しになる。外国人への差別と偏見が広がっている現代では、その危険が増している。外国人へ殺意が向けられるシーンは、現代への警鐘と考えて間違いあるまい。
澤田は、デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を、二作目の『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞と新田次郎文学賞を、『若冲』で親鸞賞を受賞するなど華々しい活躍をしてきたが、今後は『火定』も代表作の一画を占めるだろう。そのため欠点らしい欠点はないが、中盤の陰惨な描写が果たして必要だったのかと、ラストのまとめ方が無難すぎるところは議論の対象になるかもしれない。

藤崎彩織『ふたご』

ふたご_書影
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4163907149
SEKAI NO OWARI(以下、セカオワ)のSaoriが、藤崎彩織名義で発表したデビュー作『ふたご』は、今回の直木賞の最大の話題作である。当然ながら、直木賞にノミネートされたのは今回が初となる。
中学2年の時、夏子は、一学年上の先輩・月島と出会い親しくなる。小学2年の時にいじめられ、ピアノだけが友達になった夏子は、音楽高校に行くためピアノの練習をしていたが、高校に進学した月島は頑張ることに意味がないといってすぐに中退。二人は次第にかみ合わなくなっていく。それでも夏子は月島が嫌いになれず、恋人とも友人とも違う関係を続ける。そんな二人を、月島は「ふたごのようだ」という。
やがて月島は家族の勧めでアメリカに留学するが、パニック障害を起こして帰国。突然、夏子の家を訪れて、夏子にカッターナイフを突きつける事件を起こす。パニック障害を悪化させた月島は、精神病院に入院してしまう。
セカオワのファンには改めて指摘するまでもないが、『ふたご』はセカオワの結成秘話であり、月島はFukase、夏子はSaori自身をモデルにしている。二人の出会いから月島の退院までを追うのが第一部で、続く第二部では、バンドを結成した月島が、仲間と地下にあった元工場を改装してライブハウスを作るなど、活動を本格化させていく。セカオワの曲に共感できないおじさん世代だが、『ふたご』に書かれたエピソードは何となく耳にしていた。ただ藤崎は自身の経験を単に記述するのではなく、自身とセカオワのメンバーを客観的にとらえ、普遍的な物語に昇華させている。好きなのに、理解したいのに、月島の心に触れられない夏子のもどかしさは、現代的なコミュニケーションのあり方を的確に捉えており、共感も大きいのではないか。
ただデビュー作ということもあり、ほかの4作と比べると技術的に未熟なところも目についた。この作品は、数ページから長くても十数ページの短い章を積み重ねて物語を進めているが、自分の書きたい場面だけを切り抜いている印象が強く、特に夏子が月島に抱く葛藤は、さほど違いのない心理描写が繰り返されている。第一部には、なぜ校則を守らなければいけないのか、なぜ皆と同じにしなければならないのかなどが議論されるが、話をしている月島と夏子は真剣なのだろうが、これらに結論を出した世代だと未熟な論争にしか思えない。第一部では、頑張らない、生きる意味が見つからないといっていた月島だが、バンド活動にのめり込む第二部になると、上を目指そうと口にし、強いリーダーシップで仲間を引っ張っていく。優柔不断キャラから俺様キャラへ転じる月島は、性格がぶれすぎ。バンド結成以降は、音楽をめぐる月島と夏子の対立も、順調なサクセスストーリーも、よくあるバンドものの域を出ておらず、そこも残念なところだ。事実をベースにしているので仕方ない面もあるし、セカオワのファンなら、物語の空白をSaoriやFukaseのインタビューやエッセイなどで埋められるのかもしれないが、そうでないと、いきなり重要な人物が増えたり、途中のプロセスを飛ばして性格や人間関係が変わったりする唐突な展開に戸惑うかもしれない。

候補作の作品評価を踏まえて、第158回の直木賞を予想してみたい。

ズバリ予想!本命は?対抗は?

本命は、スケールの大きな物語、深い人間ドラマ、重厚なテーマが一体となっている澤田瞳子『火定』。今回の候補作の中では、確実に頭一つ抜けていた。登場人物の価値観や行動原理が現代的すぎるとの批判が出るかもしれないが、歴史学の研究者でもある澤田は、丹念な時代考証で物語の舞台を作っており、少しくらい当時の価値観とかけ離れた登場人物が動いていても、違和感を持たれることはないはずだ。
対抗は、藤崎彩織『ふたご』。作品紹介では厳しい評価をしたが、『ふたご』の価値は別のところにある。文学賞は、優れた作品の顕彰のほかにも、受賞作を売り、さらに小説というジャンルそのものを盛り上げる目的もある。出版不況が長引き、小説の売り上げが落ち込んでいる現状では、文学賞、特に影響力の大きい芥川賞、直木賞を通して、後輩作家と小説全体を盛り上げたいと考える選考委員がいても不思議ではない。近年、芥川賞は、最年長受賞者の黒田夏子、受賞を切っ掛けに“又吉じゃない方”の自虐ネタで人気作家となった羽田圭介、倉本聰が開設した富良野塾出身の山下澄人、そして『火花』で社会現象を巻き起こした又吉直樹などで話題を振りまいているが、その影に隠れるかのように直木賞には地味になっている。『ふたご』は直木賞に注目を集める“打ち上げ花火”としても、小説を買ってもらう足がかりを作る“起爆剤”としても、第2の『火花』になり得る。『ふたご』が受賞すると反発も出ると思うが、批判する人は文学賞受賞作=優秀な作品という図式しか見ていないだけである(といっても、選考委員は絶対に“打ち上げ花火”だから賞を与えたとは認めないだろうが)。
穴は、彩瀬まる『くちなし』。今回の候補作の中では、表現も、メッセージも最もラジカルだったので、そこは選考委員の目にとまるように思える。
選考会は、2018年1月16日に、いつもの新喜楽で開催される。結果を楽しみに待ちたい。

筆者・末國善己 プロフィール

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●すえくによしみ・1968年広島県生まれ。歴史時代小説とミステリーを中心に活動している文芸評論家。著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『時代小説マストリード100』、編著に『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』『龍馬の生きざま』『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』などがある。

初出:P+D MAGAZINE(2018/01/13)

翻訳者は語る 酒寄進一さん
『百年泥』、『おらおらでひとりいぐも』(芥川賞受賞作)はここがスゴイ!