文学女子の金沢さんぽ【第4回】恨む心は桜の姿に? 兼六園に眠る美女の伝説

本が大好きなアナウンサー、「竹村りゑ」が、名所がたくさんある町・金沢から、文学にまつわる見どころを紹介していく連載。古都金沢を歩きながら、物語の世界を深堀りしていきます。第4回目のテーマは、人気観光地「兼六園」から、悲しい美女の伝説をご紹介します!

第4回【お久しぶりです!】

 こんにちは。
 石川県でアナウンサーをしています、竹村りゑです。
 雨の日が続くようになりました。湿気の多さに憂鬱になってしまいますが、街のあちこちで咲き誇る紫陽花や、花や葉についた雨粒がキラキラと輝く様子はとても綺麗で、つい時間を忘れて見入ってしまいます。それに、雨音を聞きながらの読書はいつもより集中できてページも進む気がします。雨の日にコーヒーを飲みながらゆっくり読書、なんて読書家にはたまらないシチュエーションだと思うのですが、いかがでしょうか?

【第4回:恨む心は桜の姿に? 兼六園に眠る美女の伝説】

 
 今回のお散歩スポットは、桜咲き誇る兼六園です。季節外れになってしまいましたが、今年は新型コロナウィルスの影響で思いっきり桜を楽しむことができなかったため、春色の金沢をご案内したいと思います!

 兼六園といえば、金沢でも有数の観光地です。石川県が運営する、石川県金沢城・兼六園管理事務所によると、加賀藩5代藩主の前田綱紀が、延宝4年(1676)に金沢城に面する傾斜地に別荘を建てたことが始まりであり、その周辺に作った庭園が、後の兼六園となっていったということです。その後、大火で一部が消失するなどの事件を経ながらも、代々の藩主に守られ、手を加えられていったそうです。

 その後、明治維新を経て、明治7年(1874)に兼六園は一般市民に全面開放されます。それまではお殿様のお庭だった場所に、普通の人が遊びに行けるようになったのです。多くの茶店が出店し、その時は今よりずっとカジュアルな雰囲気だったそうです。
 時を経て、大正11年(1922)に国の名勝に指定され、昭和60年(1985)には「特別名勝」に格上げされました。国が認める美しさを誇る庭園として認められたのです。また、水戸偕楽園(茨城県)、岡山後楽園(岡山県)と並ぶ、日本三名園の1つにも数えられています。

 金沢に住む私からすれば、兼六園と言えば、毎年春になるとお花見スポットとして沢山の方で賑わう場所。今年は自粛ムードの中で人の姿は少なめでしたが、マスクをしながら静かに桜を見る人たちで、楽しげな雰囲気が漂っていました。
 私も桜の様子をリポートするために、この春は何度も兼六園に取材に行きました。

 
 園内におよそ420本あるという桜の木々。通路沿いにずらりと植えられたソメイヨシノが咲き誇る中、1本だけ根本が四角い木の箱で覆われた風変わりな桜があります。枝ぶりは大きいものの、それ以外は何の変哲もない普通の桜の木。立て看板もありません。

不思議な桜

 園内の警備員さんに伺ってみても、「ほんな木あったかいね? わからんちゃー」(金沢弁:そんな木があったかな? わかりませんね、の意)とのこと。兼六園のガイドブックや、ホームページを見ても、この桜にまつわる記述はありません。しかし、兼六園の歴史や地理について語った文献をいくつか当たったところ、どうやら不思議な謂れのある桜だということがわかりました。

【今日のガイドブック:小糸桜の伝説】

“花見橋の近くに井戸の中から顔を出した風変わりな桜がある。この桜は小糸桜と呼ばれるもので、この桜については次のような悲話が伝えられている。昔、小糸という美しい女中がいた。当時、殿様から寵愛のお声がかかると、絶対に服従しなければならなかった。ところが、彼女だけはどうしても従わなかったためにお手打ちになり、井戸に投げ捨てられた。その彼女の恨みがこの桜になったというのである。”(『兼六園全史』より)

 花見橋、というのは兼六園内にある小さな木造の橋のこと。その名の通り、桜の並ぶ遊歩道の橋渡しをしていて、ここで写真を撮る人も多い場所です。
 そこから少し離れたところに、ぽつんと植えられているこちらの桜、なんとかつては美しい女性だったというのです! そして、どうやら根本を覆っている四角い木の箱は井桁で、その下の井戸から這い出るように桜が生えているそうです。
 参考にした『兼六園全史』は、石川県が公的な資料として認めているものです。そこで伝説の内容について言及した記述は、上で引用したたった数行のみでした。一方、ネットで検索をしてみると、小糸桜について調べた人の記事は何件かヒットしたものの、情報源となっているのは、『兼六園全史』や、『兼六園全史』を参考に書かれた二次的な文献、そして噂話です。伝説の真偽や、モデルとなった話についての新たな情報を得ることはできません。
もっと詳しい情報はないかと、金沢市観光協会に問い合わせてみました。

――兼六園に伝わる、小糸桜という伝説について、詳しく伺えますか?

そういう話はありますね。他に「うらみ桜」という名前で呼ばれることもあるようです。

――あの木の箱の下は、どうなっているんでしょうか?

下に井戸があるようです。そこから桜が生えてきているとは聞いております。

 ここでは、それ以上の詳しいことはわからないとのこと。しかし、小糸桜の伝説は本の中だけでなく実際に言い伝えられているということ、井戸の中から桜が生えてきていることはどうやら確かなようです。

 しかし、よくよく考えてみると、奇妙な点に気が付きました。小糸桜の樹齢です。
 兼六園の原型である「蓮池亭(れんちてい)」ができたのは江戸時代のこと。明治以降は廃藩置県によって大名という存在はいなくなるので、小糸を手討ちにした殿様は、間違いなく江戸時代の人物です。そして、小糸桜の伝説の舞台が江戸時代であるならば、少なくとも150年以上前から小糸桜は存在することになります。確かに小糸桜は枝ぶりの大きな立派な桜ですが、そこまでの古木には思えません。

 どうやら、伝説に迫る前に、目の前の小糸桜について調べる必要がありそうです。
 そこで、兼六園を管理している金沢城・兼六園管理事務所に問い合わせてみました。

――園内にある「小糸桜」ですが、品種や樹齢ははっきりしていますか?

品種はソメイヨシノだと分かっているのですが、樹齢ははっきりしていません。

――井戸から生えているということですが、どんな風に伸びているのでしょうか?

井戸の底からではなく、井戸内側の側面から伸びています。

――え! それでは、伝説のように井戸の底から這い出ているという訳ではないのですね。もしくは、誰かが物語を作るために植えたのかとも考えていたのですが。

そうですねえ……。どうして井戸から桜が生えてきたのかは分かりませんが、誰かが植えたというよりも、自然にどこからかやってきた苗が育ったのだと思われます。

 小糸桜がソメイヨシノであるということは、間違いないそうです。樹齢は分かりませんが、伝説どおり江戸時代に生えてきたものだとすれば、樹齢は150年以上となります。
 現在、日本で最も古いと言われているソメイヨシノは、福島県の開成山公園にある、樹齢およそ140年のもので、明治9年から11年にかけて植えられたと言われています。
 小糸桜がそれ以上の樹齢であれば、開成山公園の桜を上回り日本最古ということになってしまいます。この可能性は低いでしょう。

 小糸桜の伝説は、お殿様に言い寄られた御殿女中の物語です。しかし、小糸桜がソメイヨシノである以上、江戸時代という舞台設定は成立しません。伝説と、実際の桜の木に矛盾が生じています。どうやら、後世の誰かが創作した物語であるというのが真相なようです。

【物語を遡上する】

 それでは「小糸桜の伝説」は、誰が、いつ、どんな目的で作った物語なのでしょうか。

 小糸桜について『兼六園全史』は参考文献を挙げていません。伝説を文献として確認できる、最も古い書物がこの本なのです。数人の方が編著で書かれているうち、小糸桜の箇所を執筆された方はすでに亡くなられていたため、お話を伺うことはできませんでした。ただ、昭和51年に発刊された本の中で既に伝説として記載されているので、それ以前から伝えられていたものであることは確実です。

 手がかりのつかめないまま、改めて小糸桜の伝説を読み返してみます。
 井戸と女と幽霊だなんて、まるでどこかで聞いたような話。そう、皿屋敷の怪談です。

 皿屋敷の怪談とは、ひとりの奉公娘が主人の秘蔵の皿を割ったり紛失したりしたために命を落とし、その祟りによって主家に災いをもたらす、というもの。有名なのは東京の『番町皿屋敷』と、姫路の『播州皿屋敷』で、どちらも「菊」という女中が、不手際の罪を主人に問われ、井戸で命を落とした後に、祟りをおこしています。

 姫路城には伝説に登場する井戸「お菊井戸」があると知り、小糸伝説との繋がりを感じて姫路文学館に問い合わせてみました。
 文学館の方によると、こちらでは3年前に「怪談皿屋敷のナゾ−姫路名物お菊さん−」という展示会を開いたらしく、その時の資料をまとめた冊子があるとのこと。何か分かることがあれば、とお借りすることにしました。

 冊子『怪談皿屋敷のナゾ−姫路名物お菊さん−』によると、姫路の皿屋敷の怪談で殺されてしまう「お菊さん」は、ただの下女ではなく、横暴なお殿様の元へ送り込まれた女スパイだったそうです。そして、その罪を問うために、家宝の皿を隠したとの濡れ衣を着せられ、拷問の後に処刑され、井戸に投げ込まれています。
 気になるのは、お菊を拷問し処刑した家臣が、お菊に対し「自分の妻になれ」と要求していること。お菊は、皿を割った罪や、ましてスパイだった罪に問われて殺されたのではなく、ただ「妻にならなかった」ために殺されているのです。
 これは、お殿様の寵愛を断ったために殺された小糸と重なるように思えます。

 ちなみに、姫路城の「お菊井戸」は、江戸時代には「釣瓶取井戸」と呼ばれていたものを、大正元年(1912年)に姫路城が一般公開されるタイミングで、観光材料としてネーミングし直したものではないかとのこと。残念ながら、お菊は関係ないようです。

 『皿屋敷』の発祥は、姫路の『播州皿屋敷実録』(原本は所在が分かりませんが、それと類似した資料として、1845年に書かれた『播州皿屋鋪細記』が残されています)もしくは1758年に書かれた東京の『皿屋鋪辨疑録』であるというのが通説で、それぞれ『播州皿屋敷』『番町皿屋敷』として今に伝わっているそうです。

 そして、全国には類似した物語が点在しており、お皿を割ったという内容だけでなく、ご飯の中に針が混ざっていたパターンなど、確認できる範囲で51もの物語が全国で語られているようです。
 ここ、石川県金沢市にも下女の「菊」が、10枚組のお皿を割った罪で主人に手討ちにされ、露地の井戸に投げ込まれたという話が伝わっています。それ以来、菊の亡霊が出て皿を数えては泣くようになり、主人の家族は次々と死んで家は途絶えたとのこと。この展開は皿屋敷そのものです。

 しかし、伝説を辿るというのは難しいもの……。小糸桜だけでなく、皿屋敷にまで手を広げたところ、ますます分からなくなってしまいました。

兼六園をお散歩

 もしかしたら、姫路城の「お菊井戸」のように、小糸桜も、兼六園が一般公開されたタイミングで、観光材料として作られたストーリーなのでしょうか。桜が生えている井戸と、みんなが知っていて金沢にも伝わっている『皿屋敷』の伝説を結びつけ『小糸桜の伝説』という物語が作られたのかもしれません。
 
 考えてみれば、どうして生えてきたかも分からない桜の木を、伐採することもなく井戸から育つままにしておいたというのも、おおらかな話です。
 まして、兼六園は国の特別名勝。美しさを保つために管理されている中で、小糸桜がここまで育つことができたのは、『小糸桜の伝説』がまことしやかに語り継がれてきたことと関係があるのかもしれません。
 金沢城・兼六園管理事務所で、明治40年頃(1907年頃)に園内を撮影した写真を見せていただいたのですが、そこには井戸から伸びる若木の様子が写っていました。(著作権の所在がわからないため、残念ながら掲載はできません)これがかつての小糸桜の姿だとしたら、100年ほど前から「見逃してもらって」きたのです。
 物語の力によって、小糸桜は守られてきたのでしょうか?

【小糸という人】

 一方で、「見逃してもらえなかった」のが小糸です。創作の人物だとしても、お殿様の寵愛を断ったために殺されてしまうなんて酷すぎます。それだけではありません。『皿屋敷』のお菊が、お皿を数えて殺した主人を祟り、果てにはお家断絶まで達成しているのに対し、小糸ときたら、桜に化けて花を咲かせるなんて、奥ゆかしいもいいところです。
 小糸は、どうして「桜に化けた」のでしょうか。いえ、その前に、なぜ「お殿様の寵愛を断った」のでしょうか。

 そこまで考えて、ふと思い当たりました。
 もしかしたら……小糸には、他に好きな人がいたのではないでしょうか。

 お殿様の寵愛を受けるというのは、言ってしまえば最高の玉の輿です。さらに言えば金沢(加賀藩)のお殿様は、百万石とも言われたスーパーリッチ前田家です。前田家の誰かをモデルにしたのであれば、小糸の親御さんは泣いて喜ぶくらいのお話です。
 それでも小糸は、それを拒みました。殺されても、自分の意志を貫いたのです。
 他に心に決めた人がいたことが、その強さを彼女に与えたのではないでしょうか。

 そう考えると、死後、桜に姿を変えた理由も違うものに見えてきます。
『兼六園全史』では、小糸は恨みのあまり桜に姿を変えたとしています。でも、恨むのだったら他に方法があると思うのです。

 どうして桜に姿を変えたのか。

 小糸は、死んだ後も、好きな人に綺麗な姿を見せたかったのではないでしょうか。

 そんな想像を胸に小糸桜を見上げると、花びら1枚1枚が悲しげにそよいだ気がしました。

 今回の「金沢さんぽ」は、作者不明の伝説を辿るという不思議な旅になりました。
 いつ、誰が、何のために語り始めたのかも分からない物語。矛盾を孕む点では「不完全な」お話だと言えるのかもしれません。
 しかし、物語としての欠損が、かえって心を惹き付けるように思います。欠けているからこそ、その部分をどう埋めるのか、物語の受け手に裁量が与えられるのです。
 私が空想したように、受け手が自分のものとして解釈できるだけの余地が『小糸桜の伝説』にあったために、時代を超えて、人の口から口へと語り継がれたのではないでしょうか。

 小糸桜は今も兼六園の片隅に植えられています。来年もきっと花を咲かせるでしょう。機会があれば、是非ご覧いただきたいです。欠けた物語を持つ、綺麗な桜の木です。

参考資料:
兼六園全史編纂委員会,石川県公園事務所 編『兼六園全史』兼六園観光協会,1976
姫路文学館『怪談皿屋敷のナゾ−姫路名物お菊さん−』姫路文学館,2018

Camera:吉岡栄一
※撮影の際のみマスクを外しました

ロケ地
・金沢市 兼六園
・金沢市 犀川沿い
・羽咋市 古永建設 しだれ桜園

【兼六園】
石川県金沢市兼六町1

【古永建設 しだれ桜園】
石川県羽咋市千路町

<竹村りゑ プロフィール>

MRO北陸放送アナウンサー。石川県金沢生まれ、金沢育ち。
好きなものは本と現代アート、化石。
最近唐揚げとレモンサワーと登山に嵌っている。
書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のBookmarker」(MROラジオ 毎週木曜18:45〜19:00)で、毎週1冊ブックレビューを行っている。
【北陸放送公式HP】https://www.mro.co.jp/announcer/242/

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