三島由紀夫に「モテテク」を学ぶ。【文学恋愛講座#1】

昭和を代表する文豪・三島由紀夫。彼の小説やエッセイから、女性に「モテる」ためのテクニックをたっぷりご紹介します。

突然ですが、「モテる」とはなんでしょう?
不特定多数の異性にチヤホヤされることでしょうか。それとも、好きな人に好かれ、両思いになることでしょうか。

たとえばここに、駆け出しの若手小説家がいるとしましょう。少しずつ名前が売れ始めた彼は、飲み屋の若い女の子に「先生」と呼ばれるようになります。時折、客に「作家さんなんですか? キャー素敵! サインください!」なんて声をかけられる場面も出てきました。
果たしてこれは、“モテ”でしょうか? 戦後の日本文学界を代表する作家・三島由紀夫に言わせると、こうなります。

そんなものは全然実体がなくて、ウナギ屋の前をとおって、ウナギを焼く匂いをかがされただけのようなものです。 
『不道徳教育講座』より

ちょっとやそっと女性にチヤホヤされることは、なんら意味のない「ウナギの匂い」である。そう三島は説くのです。では、本当の「モテ」とはなんでしょう? 「モテたい」という永遠の欲求を叶えるためには、いったい何をすればいいのでしょうか?

小説のみならず、男女の恋愛をテーマにしたエッセイ、批評文も多く遺した三島由紀夫。今回は、その批評眼が光る名文の中から三島流の「モテテク」をご紹介しつつ、「モテ」なるものの正体に迫ります。

 
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『新恋愛講座』が教える、モテる女の口説き方

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三島はエッセイ集『新恋愛講座』の中で、男女の駆け引きというものは3パターンに分けられると説いています。

(A)こちらにはうぬぼれがなく、うぬぼれた相手を刺激する場合、
(B)こちらにうぬぼれがあって、相手にはうぬぼれが少ない場合、
(C)両方ともうぬぼれが強い場合

現代風に言い換えるなら、(A)自分はモテないが相手はモテる場合、(B)自分はモテるが相手はモテない場合、(C)両方ともモテる場合となります。この中でも特に気になるのは、(A)のパターンではないでしょうか。

モテる異性、特に女性を口説くのは至難の業です。モテる女性は自分が魅力的であること、自分に価値があるということを嫌というほどわかっているので、月並みな誘い言葉には見向きもしてくれません。
そこで三島が提唱するのは、「人の褒めない部分を褒める」こと。

うぬぼれた相手を口説くのには、相手の、自分で気がついていない魅力を探し出すことが大切です。(中略)どんなにうぬぼれて、人の称讃にあいている女ないし男であっても、人に褒められたくても、まだほめてもらえない美点というものを持っています。

三島は、「将軍にお世辞を使うときは、その戦功ではなく“ひげ”を褒めろ」というフランスの作家の言葉を例に挙げます。モテる女性を口説くときも、彼女が褒められ慣れているであろう「美貌」ではなく、こんな口説き方をしろと言うのです。

「君がきのう屋上で一寸(ちょっと)の間、ひとりでぼんやりアド・バルーンを見ていたね。一人きりで誰にも見られていない君をはじめて見たよ。誰でもすぐ君に熱を上げるから、僕は君と二人でいても、ほかの大ぜいの男がまわりにうようよいるような気がするんだ。大ぜいの審美眼がしょっちゅう君を見てるような気が。……ところがきのうは本当に君は一人きりだった。僕は断言するけど、一人きりの君のほうがずっと可愛いぞ」


「一人きりの君のほうがずっと可愛いぞ」
。……こんなことを言われたら、大勢の審美眼に晒されることに慣れたモテる女性も、ついクラっときてしまうことでしょう。

ニヒルなバーテン“千吉”に学ぶ、本当の男らしさ――『肉体の学校』

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続いてお手本にしたいのは、三島が1963年に発表した長編小説『肉体の学校』。これは、元華族の美しい30代女性・妙子が、ミステリアスで男らしいゲイバーのバーテンダー・千吉に惹かれてゆくさまを描いた物語です。

ブティックの経営者である妙子を始め、映画評論家の信子、レストランオーナーの鈴子という個性豊かなアラフォー女性3人組が男の品定めに興じる様子は、さながら「セックス・アンド・ザ・シティ」のよう。

地位も名誉も手に入れ、男には困ったことのない生粋のモテ女・妙子。そんな彼女の心を射止めたのは、事もあろうにバーでアルバイトをする貧乏学生だったのです。それはなぜか? 千吉の言動や立ち居振る舞いから、彼がモテる理由を分析してみましょう。

<① 類まれなる“美男”ぶり>

ゲイバー「ヒアシンス」で、初めて千吉の姿を見た妙子。彼の姿はこんな風に描写されています。

カウンターの淡い照明の中に、胸から上を見せている一人の青年が、彫像のような横顔をうつむけていた。ボオイに応えて、彼が正面へ向けた顔は、凛々しい眉といい、男らしい顔の造作といい、ちょっとどこにも見られないような美男であった。

この箇所を読んで、「結局、顔かよ!」と思った方もいらっしゃるかもしれません。たしかに、そのビジュアルの美しさも彼の魅力のひとつ。しかし、彼のもっと大きなモテ要因は、他の部分にあるのです。

<② 行動は常に“予測不可能”>

その男らしい美しさに興味を惹かれ、千吉とのデートをとりつけた妙子。彼女がお洒落をし、クリスチャン・ディオールのとびきりのネックレスまで身につけて向かった待ち合わせ先の喫茶店に、千吉はGパンに革ジャン、下駄で現れます。

当然、妙子は千吉が自分には気のないものと思い、“恋は終った”と考えます。ところが、千吉はマイペースにデートを楽しみ、彼女にキスまでする始末。妙子は戸惑いながらも次の約束をし、“Gパンの恋人”に似合うよう、健気にも流行遅れのコートにとっくりセーターという出で立ちでデートに向かうのです。そこで待っていた千吉の姿を見て、妙子は度肝を抜かれてしまいました。

奥の椅子に斜めうしろ向きに掛けていた紳士が立上って、
「よお」
と言った。それは一分の隙もないスーツの千吉であった。一目でイギリス物とわかる焦茶の渋い格子(こうし)縞(しま)の三つ揃、すばらしく好みのいい伊(い)太(た)利(りあ)風のタイ、磨き上げた靴、胸もとの白いハンカチ、……

前回のデートで下駄を履いてきた男が、今度は文句のつけようのないスーツ姿で現れる。こんな予測不可能な行動をされたら、普段どれだけサプライズに慣れている女性でも、グッときてしまうこと請け合いです。

<③ 母性を刺激するテクニック>

頻繁にデートを重ねるようになった妙子と千吉。ある朝、妙子の家に突然、彼からこんな電話がかかってきます。

「君ン家で飯を喰って、のんびり本でも読みたいんだ。支度しといてくれよ」
「あら、じゃあ、どこのお料理がいい? 『ルイーズ』なら、喜んで届けてくれると思うけど」
「わかってないなア。料理くらい手前(てめえ)で作れよ」

なんて乱暴な物言い! と千吉を非難するのは間違い。言うなればこれは、最初に解説した「人の褒めない部分を褒める」の応用編です。料理は外食や出前が当たり前、いくらでも高いディナーを奢ってもらえる立場の妙子は、「料理を作って」という、恋人のよくあるワガママにこそ飢えていたのです。母性を刺激された妙子は、“ひどく女らしい”気分になり、ウキウキと料理支度を始めます。

こんな風に、女性の「くすぐられたい部分」をうまく、さりげなく撫でてしまう千吉。男らしくモテたい方は、彼をお手本にしてみてはいかがでしょう(ただし、難易度はやや高めですが)。

モテる男の心構えはかくあるべし――『不道徳教育講座』

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冒頭でも引用したエッセイ、『不道徳教育講座』。これは「知らない男とでも酒場に行くべし」「大いにウソをつくべし」といった、一見、顔をしかめてしまうような“不道徳”的教訓の数々から逆説的に“道徳”を説いた、ユーモア溢れる名著です。

このエッセイでは、人として、男としての「心構え」が多数紹介されています。その中から、モテを探求する皆さまに、ぜひとも伝授したい2つの教訓をご紹介しましょう。

<モテるためには“秘密”が必要>

モテる人が多くの場合、ちょっとミステリアスなイメージを持たれているのはなぜでしょうか? それは三島流に解釈するならば、こんな理由があるから。

愛する者は手ぶらで愛せるが、愛される者は、永久に愛されたいと思う限り、永久に多少の神秘を保存しなければならない。(中略)人はわかりきったものを愛することはできません。

“人はわかりきったものを愛することはできません”……。ハッとするような言葉ですが、たしかに一から十まで自分のことをべらべら喋ってしまう男性に対して、女性は安心こそすれど、魅力は感じません。(余談ですが、筆者の友人女性は、1日の行動すべてを翌日の朝にメールで送ってくる知人を「首相動静かよ」と気味悪がっていました)

<恋愛の主導権を得たければ、○○になれ>

恋愛において、その主導権は相手でなく自分が握りたいと考える男性は、いまの時代も少なくないのではないでしょうか。できることならば、デートでは必ず奢り、威厳を保ち、女性には3歩下がってついてきてほしい……。三島は、そんな考えを一刀両断します。

性的主権と経済的主権を、共に握ることは男性のかわらぬ夢ですが、この考えがまちがっていはしないか。資格もないのに両方握ろうとするから、女性にバカにされるのである。実際は性的に女性を征服するなどというのはバカげた妄想で、女というものは、特殊な条件でなければ、そういう男性の妄想に屈服しません。

「女は、特殊な条件でなければ男の妄想に屈服しない」。そう言い切る三島が考える「特殊な条件」とは、“経済的主権”を一切女性に捧げてしまうこと。経済的主権をはっきりと女性に持たせることで、その代わりに“性的主権”(=恋愛やセックスの主導権)を得られると言うのです。三島が導き出した結論はこうです。

一生大した収入ももてそうもない青年は、経済力のある稼ぎ手の女性と結婚して、せめて自分の性的主権を、男性的威厳を確保すべきだ、ということです。

もしもあなたが、男性的な威厳を保ち、一生女性に威張り散らして暮らしたいと考えるなら、ヒモになるしかないのかもしれません。

おわりに代えて――モテることは「幸福」なのか?

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『不道徳教育講座』の中から、こんな一節をご紹介します。

私は、人生各方面における絶対の成功者、絶対の勝利者というタイプの男を考えてみる。彼は世にも受動的な男なのです。
女がやってくる。彼には全然気がない。そこで女はじりじりして来て、彼に惚れる。彼も仕方がないから、(中略)女を受け入れる。女はますます惚れる。彼はますます気がない。

「気がない」異性にこそ惚れてしまうというのは、人間の性です。“セールスマンの秘訣は決して売りたがらぬこと”なんて例にも触れつつ、「欲しがらない」人間こそが真の勝者であり、恋愛であれば人を“待たせる側”がモテるのだ、と三島は説きます。

本当の「モテ」の秘密は、この待ちの姿勢にこそ隠されているのです。モテる女性を落としたい人は、ぜひ三島の「モテ流儀」を実践してみてください。
しかし……

人を待たせる立場の人は、勝利者であり成功者だが、必ずしも幸福な人間とはいえない。駅の前の待ち人たちは、欠乏による幸福という人間の姿を、一等よくあらわしているといえましょう。

皆さまがもしも誰かのことを特別に好きになり、恋い焦がれ、“待ち人”になっているのなら、それはむやみに異性にモテることより、もしかするとずっと幸福なことなのかもしれません。

初出:P+D MAGAZINE(2017/02/22)

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