採れたて本!【海外ミステリ#38】

法は常に正しいのか。いざという時にわれわれを守ってくれるのか。法の倫理を問うリーガル・ミステリーは多くの作例があるものの、エリーザ・ホーフェン『暗黒の瞬間』は一味違う。乾いた筆致によって、一見平凡に見える、しかし法理論上の、あるいは倫理上の問題を抱えた事例を描き、われわれの倫理観を根っこから揺らがす。それを連作短編集という形で行うのだから、その充実度は半端ではない。
プロローグでは、刑事弁護士エーファ・ヘアベアゲンが既に一通の手紙を書き終えている。三十年以上の職業人生に終止符を打ち、弁護士資格を返上する旨の手紙だ。全体としては、彼女がこれまで取り扱った事件を振り返るという仕立ての連作短編集となっている。
第1の事件「正当防衛」や第2の事件「生かしておく」こそ、非常にオーソドックスなミステリーだが、ツイストの切れ味や、依頼人の利益を第一に考えるエーファの姿勢など、連作短編の要となるパーツは丁寧に提示されている。ギアが上がってくるのは第3の事件「少年兵」だ。ウガンダから逃げてきた難民、ケネス・オケロに対して行われる裁判を描いた一編である。オケロは難民収容施設において別の男から、彼の村を襲い彼の息子を誘拐した人物であるとの告発を受けた。オケロは反乱軍に所属する間、拷問や強姦など多くの罪を犯しており、「人道に対する罪および戦争犯罪」で起訴される。エーファは国選弁護人として彼の弁護にあたるが、オケロが漏らしたある一言が気になって……。
やがて明かされる真相は、法と倫理のせめぎ合い、現実の非情さを読者に突き付ける。リーガル・ミステリーとしての逆転劇とドラマがただ一つの発想のもとで見事に結実する。本編をある形式のトリックとして単純に分類してしまうことは可能だが、そのトリックを成立させてしまった戦争のありようの醜悪さこそ注目すべきだろう。忘れがたい名編である。
続く第4の事件「塩」も、ドメスティックスリラー的に描かれる厭な家族模様が、ある事件に繫がってしまうシーンの呆気なさは衝撃必至だし、第5の事件「人食い」もカニバリズムミステリーの新たな秀作である(ネタバラシにならず挙げられる他の作品は法月綸太郎「カニバリズム小論」ぐらいかもしれないが)。いずれも脳がゾワゾワするようなセンシティブな題材に手を突っ込んでいるが、端正な筆致のおかげでどんどん読み進めてしまう。
第7の事件「強姦」は、結婚前に新郎が友人と一緒に開いたバチェラーパーティーにおいて、彼らが犯した集団強姦事件を扱うが、なんと十一人組のグループのうち一人が事件発生前に現場を離れていたことが判明し、十一人全員が「その一人は自分だ」と主張する。そして、この一人がどうしても特定出来ない。この場合、無罪の一人のために十一人まとめて有罪にするわけにいかないが、被害者感情を考えれば全員無罪などという結末を許すわけにもいかない。では、エーファはどうするか……衝撃的な展開という点では、本書でも一、二を争う一編だ。
読み進めるうち、エーファには、過去の苦い記憶としてシュテファン・ハインリヒ氏の事件がある──ということが分かってくるが、本書の結末近くに置かれた事件の名前がそのものずばり「シュテファン・ハインリヒ」というのだから、構成にもワクワクさせられる。極めてハイレベルな連作短編集であり、一級品のリーガル・ミステリーである。二〇二六年、早速の注目作品として、ぜひチェックしてもらいたい。
評者=阿津川辰海






