ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十一回 漂流する風俗嬢

 

雨の中、傘もささずに

 

 症状は出ていなかったが、性病の定期検査で梅毒に感染していることが分かった。セイヤが新規の店をオープンさせるためのイベントを控えていた矢先で、イベントでは300万円使って欲しいと言われていた。そんな時に、「病気になった」とは口が裂けても言えない。逡巡した挙げ句、打ち明けることにした。
「病気になりました。働くことはできないってお医者さんに言われたんですけど、どうしたらいいですか?」
 恐怖心から敬語になっていた。
「これ以上支えられないので、出ていったほうがいいですか?」
 するとセイヤは言った。
「金は半分出すから、残りは店のつけにしよう。出ていかなくていいから」
 ナツキは働けない代わりに、セイヤの勧めで闇金にも手を出した。断れなかった。セイヤに嫌われ、関係が途絶えるのをやはり、恐れていた。もっと言えば、ナツキは人に嫌われること自体を極度に恐れていた。それは幼少期のいじめ体験が関係しているのかもしれない。
 そして迎えたイベント当日、ナツキはようやく我に返った。
 セイヤから暴行を受けたのだ。
 理由は、来店した社長がセイヤたちの席につこうとした際、トイレに行ってしまったからだ。その行動が、社長に対して失礼に当たり、セイヤの面子を潰してしまったというのだ。ナツキはイベント終了後、店の外へ連れ出され、蹴飛ばされた。
「雨が降っているのに、傘もささせてもらえませんでした。持っていた傘でも叩かれました。外で色んな人が見ている中でやられて、その場で『もう家に帰って来るな! 荷物は捨てるから』と吐き捨てるように言われ、鍵を没収されました」
 ナツキはその場に1人、取り残され、ようやく別れる決心がついた。
 手持ちのお金で漫画喫茶へ行き、セイヤがいない時間帯にアパートへ向かった。いつもロックしていなかったので、荷物は回収できた。
 ホスト通いを続けた結果、ナツキに残ったのはクラブへのつけと闇金でできた借金など負債総額約350万円。闇金業者からは電話で支払うよう何度も脅され、警察へ駆け込んだ。闇金対策本部が業者へ電話を掛けて対応してくれたが、身元が割れていることから帰省するよう助言され、一旦、東北へ戻った。祖母との2人暮らしが再開し、その間に利用した出会い系アプリでまた新しい彼氏ができた。
 再び上京したが、新しい彼氏とは半年ほどで関係が終了した。そんなある日、都内の駅周辺を徘徊していると、例のセイヤにばったり出くわす。セイヤが住むアパートの最寄り駅とはいえ、決して出歩くことはないと踏んでいた東口だったが、脇が甘かった。
「逃げてんじゃねえよ!」
 ナツキは腕をつかまれ、そのまま交番に突き出された。これ以上の騒ぎになるのを恐れて、月々10万円を支払うことでセイヤと折り合いがついた。
 返済のためには仕事が必要だったが、ナツキはとにかく東京を離れたかった。ネットで見つけた仙台のデリヘル店まで足を運び、働きながら寮生活を送ることに。そこから月2回、夜行バスで東京へ行き、セイヤとの約束を守った。しかし2カ月後、新型コロナウイルスの感染が拡大。東京と行き来していたことで店側から感染の可能性を疑われ、突如、首を切られた。
 そしてまた東京に戻る。
 そのきっかけも、出会い系アプリで知り合った新しい男性で、彼が住む浅草のアパートへ転がり込んだ。その男性にこれまでの経緯を説明すると「自己破産した方がいい」とアドバイスを受け、法テラス(日本司法支援センター)の法律相談を利用した。
 ナツキの所持金はその時点で5000円しかなかった。対応した弁護士から生活保護を受けるよう勧められ、台東区役所へ向かった。そこでカンガルーホテルを紹介され、山谷へ流れ着いたのだ。まさしく流転の人生。現在もセイヤからは支払いを催促するメールが届くが、返信はしていない。
「まだ完全に安心はできないですけど、やっと解放されたのかなっていう気持ちはありますね」
 宿泊費については、生活保護費を受給するまで、ホテルでつけにしてもらっている。状況を察した小菅さんの親切心からだ。こうした寛大な対応は、山谷ならではかもしれない。

カンガルーホテルの内装は白を基調にした、モダンな造りになっている
 

 ナツキはもう、風俗業からは足を洗う。自己破産が完了し、落ち着いたらゆくゆくは地道に働く予定だ。
 上京してからの漂流人生を、ナツキはこう振り返っている。
「つくづくバカだったなって思います。セイヤに対する感情がなくなってからというもの、結局は遊ばれ、全部営業だったんだなっていうことに気づきました。仕事だと思えば、みんなそういうふうにできちゃうんだって。少し人間不信に陥りました。だから良い経験をしたと思う反面、恥ずかしい思いもしたなって」
「借金を抱えているってだけで私はもう人生が終わったと思っていました。このまま一生、こんな底辺みたいな生き方なのかなって。でも自己破産とか弁護士に相談するとか全然知らなかったので、今はまだやり直せるのかなっていう希望が見えてきました」
 ナツキは6月上旬、カンガルーホテルを後にした。区の紹介で、生活保護受給者を受け入れる施設に移ったようだ。

〈私の人生これからだから〉

 交換したナツキのLINEアカウントの表示名には、そんなメッセージが添えられていた。

 

〈次回の更新は、2020年8月ごろを予定しています。〉

プロフィール

ヤマ王とドヤ王 水谷竹秀プロフィール画像

水谷竹秀(みずたに・たけひで)

ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/07/08)

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◎編集者コラム◎ 『DASPA 吉良大介』榎本憲男
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