連載小説

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第16回
第16話 15日目の冷や汁 絶望的なまでに話が通じない人というのは世の中に一定数存在する。日常生活の中でたまさかそういう人物に遭遇したら、とにかく慎重に距離を取って、以後なるべく近付かないことだ。それしかない。しかし運悪くそれが仕事で関わらざるを得ない人、しかも大口のクライアントだったらそうも言っていられない。どんだけ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第198回
12 五月二十九日。増山の第五回公判期日。傍聴席には抽選に当たった増山の母・文子の姿があった。彼女を見た増山の目が潤んだ。それを見た文子の顔が歪んだ。能城が開廷を告げた直後、志鶴は立ち上がった。「裁判長、本日の証人尋問に先立って、弁護人から要請があります」能城が険しい目で見下ろしてくる。「何か」「綿貫絵里香さんのソフト
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第197回
「遺体遺棄現場について聞き出すのに少なくとも二十分かかったと今証言されました。あなた方が増山さんを犯人と断定して、殺害時の状況を聞き出すのに約一時間十分ほどかかった。そういうことになりますね」 そこで目を左右に泳がせた。自分がそれと知らず誘導されていたと気づいたのかもしれない。「まあ、きっちり計測していたわけじゃないで
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第196回
「読み上げますので見ていてください。『実施日時 令和×年三月二十四日午前九時〇分から三月二十四日午後四時三十分まで』──今私は正しく読み上げましたね?」「はい」「増山さんが留置されていた足立南署から、引き当たり捜査を行った荒川河川敷の現場まで、片道の移動時間はどれくらいですか?」「……諸々(もろもろ)、準備などを含める
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第15回
第15話 14日目の鰻重 ドアのチャイムが鳴って、わたしはモニターを確認した。そこには懐かしい顔があった。今日は正真正銘、懐かしい顔だ。数年ぶりに見る母は相変わらず派手好みで、還暦を超えているようにはとても見えない若々しさだった。最近彼女はとあるボーカルグループに夢中だそうで、今日はそのライブのための「遠征」ついでにこ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第195回
「被告人が遺体遺棄現場へ向かって歩く前後に、捜査員で気をつけていたことがあれば教えてください」「係長以下、われわれ現場に立ち会った捜査員が徹底して心がけていたのは──被告人を誘導しないことです」「誘導しない? どういう意味でしょう」「専門用語で『秘密の暴露』と言いますが──」久世はピンク色の唇を舌で湿した。「われわれ警
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第194回
11 五月二十八日。増山の第四回公判期日。この日も抽選に外れた増山の母・文子の姿は傍聴席になかった。浅見萌愛の事件の証拠調べは昨日までで終わり、今日からは綿貫絵里香の事件の残りの証拠調べを中心に行う。浅見は扼殺だが綿貫は刺殺。浅見の事件では増山の自白はなかったが綿貫では虚偽自白をしてしまっている。浅見の事件とは証拠、争
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第14回
第14話 13日目の深型フライパン パスタは子供の頃からの大好物だったけど、かつて高校生になったばかりの私にとって、それはひときわ特別な食べ物にもなっていた。その頃まわりの友人たちに一足遅れて「成長期」に突入した私は、いつだっておなかがペコペコだった。学校帰りに友人と連れ立ってコンビニに立ち寄り買い食いをすると
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第193回
 再主尋問にも青葉が立った。「あなたは一回目の事情聴取では被告人が漂白剤を買って通勤した日にちを特定しませんでした。が、二回目の事情聴取では九月十八日と特定されました。その理由を教えてください」「記憶が確認できたからです」「あなたは一回目の事情聴取では漂白剤の銘柄を覚えておらず、容量についても話していませんでした。が、
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第192回
「あなたは被告人が通勤してきたとき、スクーターの前かごにキッチンホワイトのボトルが入っているのを見た。それからどうしましたか」「『なんで漂白剤なんか持ってるんだ?』と被告人に訊ねました」「被告人は何と答えましたか」「『か、母ちゃんに頼まれて……』と」傍聴席で笑いが起こった。「それからどうなりましたか」青葉が続ける。「『
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第13回
第13話 2日目のハンバーグサンド 本とノートを彼女に送らねばならない。ノートはともかく、本は今やってる仕事にもすぐに必要なはずだ。その準備をしようとしたが、宅配便の送り方が実のところよくわからない。コンビニからでも送れることはなんとなく知っているが、そのためには「梱包」というものが必要なはずだ。宅配便を送ったことは無
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第191回
10 江副と南郷は退廷し、二人が座っていた傍聴席は空席になっている。今日三人目の証人は今井克人(いまいかつひと)。増山が勤めていた新聞販売店の店長で、検察側証人だ。皺が目立つスーツを着た痩せた中年男性で、顔は土気色がかっており、髪の毛には寝ぐせが残っているようだった。主尋問には青葉が立った。まず青葉は、増山が日頃からジ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第190回
「写真測量とご遺体の死体検案の関係について教えてください」世良が続ける。「はい」江副が穏やかな顔を裁判員に向ける。「日本では、ご遺体の数値を計測するのに、二次元の写真を用いるということは一般的に行われておりません」「終わります」世良が席に戻った。「弁護人、再々反対尋問は?」能城が訊ねる。「川村が」志鶴が立った。「先生は
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第12回
第12話 2日目のカツサンド ドアのチャイムが鳴って、私はモニターを確認した。そこには懐かしい顔があった。いや、「懐かしい」というのは客観的には適切じゃないかもしれない。モニターに映るその人は、ほんの数日前まで生活を共にしていた人だったからだ。しかし今の私にとって、彼が「懐かしい人」であることは事実だ。懐かしい人はモニ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第189回
 浅見の遺体写真を元に3Dプリンタで作成したシリコン製の首のモデルを、志鶴たちと南郷は東京拘置所で刑務官を通して接見室の増山に渡し、実際の扼痕に近いよう扼殺をシミュレートさせ爪痕の位置のデータを取った。この場面はアクリル板ごしに動画と静止画で撮影もしている。過去に、東京拘置所の接見室で、被告人の健康状態の異常に気づいた
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第188回
 当初、志鶴と都築が江副を弾劾するために専門家証人を召喚しようと思わなかった理由は二つある。江副の証言を完全に弾劾できずとも他の証拠を潰すことで検察側の立証の弱さを示すことができるだろうと判断したのが一つ。もう一つは、すでにその時点で二人の専門家証人に鑑定の依頼を出しており、その費用だけでもばかにならない金額になってい
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第11回
第11話 12日目のフライドチキン 外で取材の仕事を終えたら、久しぶりに夜の8時を過ぎていた。インタビュイーのフレンチシェフから鶏肉の調理法について散々おいしそうな話を聞かされたわたしは、気持ちの上でも既に空腹が極まっていた。たまには手っ取り早く居酒屋にでも立ち寄って、から揚げと生ビールと冷やっこ、なんてのも悪くないな
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第187回
9 「開廷します」休憩のあと、能城が告げた。「次の証人を」傍聴席の最前列で弁護側証人が立ち上がり、証言台に進んだ。長身の男性だった。体にぴったりした鮮やかなロイヤルブルーのダブルのジャケットの下にノーネクタイで白いシャツを着て、白いパンツを穿(は)いている。髪の毛先を遊ばせ、髭を短く刈り込んでいた。四十代の後半。身のこ