【連載第3回】リッダ! 1972 髙山文彦


 それにしても、東九条ではほんとうによく火事が起きている。その規模も、いまでは考えられないくらい大きい。
「アニキも遺稿集に書いてるやろ?」
 と、Y氏は柔和な目で私を見る。
「あの火事の経験は、アニキにとっても大きかったと思う」
 奥平が京大に入学した一九六四年の五月には、南河原町の二三世帯が焼け、一三九名が焼け出された。六六年二月には、東岩本町の七一世帯が焼失、死者二名、負傷者一名、罹災者二一一名(同年二月九日の毎日新聞は「被災者数は京都の火事で戦後最大」と報じている)。そして前述のように、奥平が二二歳、Y氏が一七歳を迎える六七年には、三月に東岩本町の火災で一名死亡、さらに八月に北河原町で一二一世帯が焼失、二名死亡、罹災者三〇七名という大惨事であった。こうした火事の連続をうけて、M氏はいてもたってもいられず自主映画制作に走り出したのだ。
 奥平がセツルメント活動を離れたのは、それより二年まえの二月のことである。それはまさに、同時期に起こった東岩本町の大火が直接の引きがねになっている。
 一九六六年二月八日午前〇時半ごろ、徳永アパートの一室から出火し燃えひろがった炎は、隣接するアパート五棟、民家や長屋一三棟をつぎつぎと焼き払い、約一五〇〇平方メートルにわたって被害をひろげた。二五台の消防車が出動したと報道(毎日新聞一九六六年二月九日)にはあるけれども、路地が狭いうえに家々の密集ぶりがあまりにも無秩序なものだから、なかへはいって行けず、つよい西風に煽られてひろがる炎を隊員たちは見ているしかなかった。「戦後最大」と報じられたこの大火の原因は「マッチの不始末」。夫婦ふたりが焼け死んだ。奥平の知りあいも焼け出されたことだろう。
 そうして彼はその直後、このような詩を京大底辺問題研究会の回覧ノートに書いて(宛名に「関根委員長殿」と明記されている)、訣別を告げたのだ。

 みんな! 東岩本町が燃えた!
 さあ! わくわくと〝大事件〟にはずんでいる心をうまくおしかくして地域へ入れ!
 チャンスだ!
 君の心が躍るのもむりではない
 きのう東九条にあがったすさまじい火柱は
 すべての頽廃たいはいとなれあいとあきらめを切りさいて
 地の底から噴きあがった
 人々の憤怒の炎ではなかったか
 あのまい狂った火の粉は
 三畳のくされだたみと あかまみれのせんべいぶとんと なまぐさい粘液のはぜる火花ではなかったか
 ああ あの鮮烈な火炎は 売血にむしばまれた数千人の血に誓った
 アルコールにくさった一万人の肉体の上に復讐を誓った
 天をつく火柱のまわりに
 わをつないで踊り狂う無数の影が見えないか
 ツルハシと棍棒と酒の中に
 三畳の奴隷部屋の中に
 空しくすりへらされた子供や大人の無数のいのちが
 今 炎の中にまい狂う
 その必死の叫びをきけ
「見ろ これこそがぬすまれた俺たちの血潮だ!
見ろ これこそがふみつぶされた俺たちの心だ!」
 セツラーよ その声が君らにも聞えるか
 彼らの叫びをむだにするな
 もし君に彼らと同じ血潮があるならば!

(以下略)

 関根委員長は、皮肉まじりのシニカルな表現のほうへ気をとられただろうか。セツラーの偽善性をあばくかのような詩句の連続は、じつは物言わぬスラムの人びとの「必死の叫び」であることに心を向けることができただろうか。
 ここに書かれた内容を読むかぎりにおいても、奥平は東九条の一軒一軒を御用聞きみたいに熱心にまわっていたことがわかり、「三畳のくされだたみ」、「あかまみれのせんべいぶとん」、「なまぐさい粘液」、「売血」といった言葉からは、それぞれの家の生活実態を把握していたことが知れる。
 振り子の針が振り切れてしまわないよう、なるべく彼は中心を見失うまいと感情を抑えながら、それでもやはりどうしても悲憤や悲嘆がないまぜになったようなさまざまな感情が、そしてこれまで真剣に考えてきた自分たちの活動にたいする自己批判のあれこれが、一気に噴き出した感じだ。
 燃えあがる炎と火柱のなかに、「空しくすりへらされた子供や大人の無数のいのち」を彼は見、焼け死んだ人や家を失った人びとの、「これこそがぬすまれた俺たちの血潮」「これこそがふみつぶされた俺たちの心」というはらからの叫び声を聞く。彼らと自分たちのあいだに埋めようもなくひろがっている乖離かいりの中身について、「すべての頽廃となれあいとあきらめ」と彼が書くとき、さきほどまで私たちがたどってきたようなスラムの成り立ちと部落民とのメンタリティの相違について、ほぼ正確に、そしてある癒やしがたい痛みをもって理解していたことがわかる。
 友人との連句遊びで春の句が出たとき、「こえだめのうじにも春の光」と、どうにもこうにも字余りの一句をぽろりとひねり出したのは、ほかならぬ奥平であった。彼の肉体と精神はこのようにスラムににじり寄っており、いろんな団体の差異や相違を自分のなかにつなぎあわせる手立てのひとつとして、肉体労働があったのではないかと思われる。「君に彼らと同じ血潮があるならば」と最後に呼びかけるとき、彼はたとえひとりになっても、自分は彼らと血潮を同じくする者として、自己の全体をかけてスラムの人びとと行動をともにしていこう。すなわち、「君らがそうでないならば、おれは君らと別れ、彼らとともにあろう」と言っているのだ。
 火事の現場にいたわけではない。知ったのは火事が起きて朝になり昼になり夕刻をとうに過ぎてその日が終わろうとする真夜中のことで、アルバイトを終えて一一時過ぎ、途方に暮れたように大学の部室へ行ってみると、たまたま居合わせたセツルメントの仲間から教えられたのだ。ふたりはよほど話をしたかったのだろう。それから夜の街へ出たけれど、もう飲み屋はどこも暖簾をしまい込んでいて、下宿で朝までとりとめもなく酒を飲み、一睡もせぬまま大学の西部構内で朝飯を食った。彼はそこで京都新聞を買い、火事の詳細を知った。仲間と別れて昼過ぎまで下宿で眠った彼は、起きあがると矢も楯もたまらず部室へ行き、「らくがき帖」と呼びあっている回覧ノートにこの詩を書いたのだ。
 しかし、それだけではおさまらなかった。夜遅くふたたび部室へ行き、「らくがき帖」をもち帰ってくると、詩につづけて長文の「卒業論文」と題する訣別状を夜明けまでかかって六ページ分書き継いだ。他人に読まれるのを意識して書かれた文章は、二〇歳のこのときの詩と訣別状のほかには遺書しか残っておらず、詩と訣別状を読んでいくと、あの二六歳の日の遺書まで彼の精神が一直線につながっているように感じられてくる。それはこのように書き出されている。

 セツラーよ、笑いをおさえて地域に入ろう。かわいそうな人々のために、明かるい社会のために、革命のために、民主主義のために、そして復讐のために。
(君、そのオーバーはとりなさい。)
 さあ、君らはスラムに来た。底辺に来た。まず君らは何をなすべきか。
 君らはまず、神話を一つ破壊せねばならない。曰く「地域の人々はすばらしい。九条の青年はすばらしい」(傍線本人・引用者注)と。ああ、これこそ何ら具体的な活動を展開し得なかった過去の兄弟会のA(C)エエカッコシーどもが、言いわけのために作りあげた天才的な逃げ口上だ。
 。いかに多くの革命的、、、言辞が、この自己満足の上につみあげられたことだろう(波線と傍点本人・同)。
 しかし、この神話は単におしのけられればよいものではない。そのかわりに、「地域の人々はきたない、臭い、いじきたない」という言葉をもってくるだけでは不十分なのだ。さらに進んで、彼らはその「きたなさ」故にすばらしい、とも言いうること、即ち、彼らがまさに最底辺に、堕落のぎりぎりの限界線上にいることが、彼らに唯一の変革の展望を与えうるのだ、ということが理解されねばならない。
 彼らはみじめさの限界線にまでおしつけられているが故に一八〇度方向を転じて、その限界を反対向きにこえうる可能性をもち、そのために、ある意味で「すばらしい」と言いうるのである。(中略)
 俺は過去に何度もいわれた「セツルに理論を!」という叫びが、常に切実な叫びであったにもかかわらず、焦点を見出せぬまま、茫漠たるやみの中に消えていったのは、この前提を前提として何らの分析を加えなかったからだと思うのだ。
 即ち、「地域の人々はすばらしい」という神話を打ち砕く時には、同時に、「貧しいものほど、革命のために意識変革しやすい」という神話をも、地面にひきずりおろさねばならぬのだ。

(以下略)

 ここには「革命」というものが、はっきりと意識されている。スラムの人びとにたいする向きあいかたも明瞭にしめされており、しかしだからといって、それはだれにでも容易に理解され、だれにでも容易に受け容れられるような生半可な内容にはなっていない。「A(C)エエカッコシー」なんていう表記には当時の若者らしい一面が見られて微笑ましく感じられるけれども、骨身を惜しまず思考を極めようとする彼のような青年には、ある怪物性が胚胎するものだ。
「唯一の解決策は武装闘争」というゲバラの揺るぎない信念をやがて彼は自己の確信として胸に置くことになるが、もうその前兆はこのときにあらわれている。お行儀のよいセツラーたちの逃げ口上となっている「地域の人々はすばらしい」という「神話」の偽善を打ち砕くのみならず、たてつづけにこんどはより厄介なテーマをつきつけているではないか。「同時に『貧しいものほど、革命のために意識変革しやすい』という神話をも、地面にひきずりおろさねばならぬのだ」と言うのだから。
 すなわち彼は、「地域の人々はすばらしい」という善意の雷同から脱却することを求め、スラムへのアプローチにおいては、彼らの貧しさを階級的矛盾としてとらえるのは間違いでないとしても、だからこそ彼らを革命に引きいれることができるとする組織としての運動理論、この思いあがったもうひとつの「神話」をも「地面にひきずりおろせ」と言い、セツラーたちの〝上から目線〟を断罪している。これまでのようなエリート意識に裏打ちされたセツルメントのありかたを「解体せよ」と求めているのである。

採れたて本!【エンタメ#20】
ニホンゴ「再定義」 第17回「女子力」