師いわく 〜不惑・一之輔の「話だけは聴きます」<第56回> 『夫の体臭に耐えられません』

吉報です。ご報告が遅れましたが、’17年に刊行された『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』が、このたび重版となりました! 2年越しの重版もひとえに皆様のお陰です。ありがとうございます。そして、師匠と交わしていた重版したときの約束を、いよいよ果たしてもらおうと意気込んでいたのですが……

 

編集の高成さん(以後、タ):……一之輔師匠にキッチンさん、はいどうぞ。

キッチンミノル(以後、キ):? ……なんですか?

タ:『いちのいちのいち』第ニ刷の見本です。

キ:おおーッ!

一之輔師匠(以後、師):遅いよ。待ちくたびれちゃったよ。

キ:2年越しですからね。

タ:お待たせしました。

キ:でも、最初に企画書と1月分の写真を高成さんに見せたときに「ここに写っているのがアイドルかネコならなぁ」とくさされたことを思えば万々歳です。

タ:…………え~~と、書店にはもう配本が始まっています。

師:嬉しいね。

キ:…ということは!!!

師:ん!?

キ:約束してくれましたよね。

師:なにを? あ、重版したらキッチンがオレに飯を奢ってくれるってやつね?

キ:そんな約束してませんよっ! ほら、「重版になったら、目でピーナッツを噛む」って約束。

師:……やってるよ。

キ:いやいやいや…

師:いやいや、もうやってるよ。なんで見にこないのかなぁって思ってたんだよ。

キ:いつ?

師:重版が決まってから毎日やってるよ。……朝5時半に。

キ:鼻からスパゲティを食べてみせるとも言ってましたけど?

師:それも食べてます。

キ:こういうのって一人でやっても意味ないんで、私の目の前で食べてもらいたいんですけど。そのときはちゃんと写真を撮りますから。

師:一人でやってないよ。家族の前でやってんだから。

キ:……よくも、そんな嘘を堂々とつけますね。

師:あのね、あんたね。ちょっと図々しいよ。

キ:はぁ?

師:見にこないくせに、そういうことを言うのはおかしい。

キ:それじゃあ「見にこい!」って連絡くださいよ。

師:なんで? 甘えんなよ!!

キ:「なんで」って…!? だって約束ですから!!

師:そこまで約束してない。「見にこい!」って言うなんて約束してない。

キ:屁理屈っ!! 小学生かっ!

師:うるせー! オレは食べてんだよ、噛んでんだよ! 毎朝!!

キ:えーっ!?

師:それでいいじゃん。ダメ?

キ:ダメでしょ! 私の周りでも師匠が目の前でピーナッツを目で噛むところを期待していますよ。

師:誰が?

キ:けっこういますよ。

師:それじゃあ見にこいって言っといてよ、そいつらに。

キ:言っていいんですね? みんなで家に行きますよ。

師:いいよ。

キ:でも、朝5時半にピンポン鳴らしても、家にいれてくれないでしょ?

師:いれないよ。

キ:いやいやいや〜…

師:いれるわけがない! 早朝から家に来るなんて非常識。そんな連中を家にいれるわけがない。

キ:……

師:でも食べてるよ。ちゃんと。

キ:はぁ〜…師匠も負けませんね〜。

師:あのね、負けとかじゃないから。オレは約束を果たしているだけだから。勝ち負けじゃないから。

キ:だ・か・ら、その約束を果たしていないって言っているんですよ私はッ!

師:いいえ、果たしてます。

キ:話を戻しますけど、そもそも私との約束なんだから、私の目の前でやらなかったらおかしいですよね?

タ:う~ん……でも目の前でやるっていう言質はとってなかったんですよね?

キ:な、なんで急に高成さんが!?

師:高成さんはわかってらっしゃる。食べるとは言ったけど、目の前で食べるとは言ってないから。かみさんとか子どもたちに今度聞いてみな。「食べてるよ」って口を揃えて言うから。正直、キッチンの言っていることがわからない。めちゃくちゃな言いがかりだ! いわれのない因縁をふっかけてきやがって!!

タ:クレーマーだ……

キ:いやいや、高成さん。なんでそんなことをポツリと言うんですか? 高成さん、目を合わせてください。高成さん!!

タ:…………

師:あのさ、重版って嬉しいんじゃないの?

キ:嬉しいですよ。

師:それなのに、そんな「やった、やらない」の悲しい水かけ論にしちゃっていいの?

キ:……

師:だめでしょ。

キ:うぐぐ……

師:わかったよ。オレが折れるよ。それじゃあ三刷になったら、皇居を逆立ちして一周してやるよ。

キ:ほほ〜、大きく出ましたね。それじゃあ、そのときこそ私に声をかけてからやってくださいね。

師:いいよ。……だけどキッチンは、いつも電波の届かないところにいるからなぁ。

キ:いやいや。そんなことはないと思いますが、通じるまで電話してください。

師:努力するよ。それじゃあ、オリンピックの年までにね。

キ:えっ、期限を区切るんですか? しかも来年?

師:だらだらやっても張り合いがねーだろ? 東京オリンピックの終わる8月9日までに三刷。

キ:さらに微妙に短くなってるし……

【編集部より】
我らが師こと一之輔師匠の「皇居逆立ち一周チャレンジ!」を応援したい方は、『いちのいちのいち』購入キャンペーンにご協力お願いします!

 

師に問う:
夫の体臭がくさい事に悩んでいます。35歳の夫は身なりに気を遣い、毎日お風呂に入り体を洗い、定期的な運動で汗を流しています。衣服は毎日私が洗濯しています。
しかし、におうのです。洗面所のタオルが。シーツが。夫の顔面が家を通ると「生ゴミ顔に置いて寝たんか?」というレベルの加齢臭が軌道に残ります。
朝、夫のタオルでうっかり自分の顔を拭いてしまい、顔面に夫のアンモニア臭がへばりつきました。急いで洗顔フォームで洗っても強烈なにおいは拭いきれません。その日以降洗顔タオルは別々にしました。
飲み会の日は特に最悪です。いびきがうるさいので別室で寝ていますが、部屋の扉を開けなくても、加齢臭とアルコールのコラボ臭。夫の部屋でライターをつけたら夫が燃えるのではないかと思う程。
ただ、夫の事が嫌いな訳ではないのです。イケメンではないけど、坊主なのに毛生え薬に月3万かけている事も許せるくらい、死ぬほど忙しい仕事の隙を見つけては、子供を可愛がり、明るく元気に振る舞う夫を尊敬しています。
しかしシーツを洗って、たった一晩でシーツが臭くなる、洗剤では消臭しきれない夫のタオルを熱湯で茹でるという、日々の家事の負担は重く、いっそ家に帰ってこなければいいのにと思ってしまいます。
野菜も食べさせています、朝は汗拭きシートの使用やシャワーを薦めています。それでも、1時間経つとにおうのです。
一之輔師匠、夫の加齢臭を抑える方法を教えてください。お願いします。
(鈴木/女性/32歳)

 
 

師:これはまず医者に行ったほうがいいよ、オレに相談する前に。でも35歳で加齢臭って早くないか?

タ:人によるとは思いますが……毛生え薬が毎月3万円というのが気になったのでちょっとネットで見てみたのですが、毛生え薬が体に合わない場合、体臭がきつくなったという体験談を書いてる人はいました。

師:そうなの? それが原因じゃねーの? 3万円はかけ過ぎだよ。ねー?

キ:そうですね。

タ:AGA治療は保険の適用外ですからねぇ……

師:ハゲと坊主と、坊主とハゲの中間の3人が高いって言うんだから、高いよ。
【編集部注】…「ハゲ」は編集の高成(スキンヘッド)。「坊主」と「中間」は、プロフィール写真をご確認ください。

タ:体臭に関しては、あくまでもネット情報であくまでも個人の感想なので、そのせいと断定するのは危険ですが。それほどまで、髪にお悩みということですね。

キ:加齢臭と書いているってことは、昔はクサくなかったってことなんでしょうね。

師:そうだろうね。これからますますクサくなるってことだからな。早いうちに慣れたほうがいいよ。鈴木、もう諦めよう。

キ:いやいや、もう少し親身になりましょうよ。ちなみに、師匠はクサいって言われますか?

師:そうね。とくに酔って帰ると「クサいっ!」って言われるよね。だけど自分的には、20代のころのほうがもっとクサかったけどなぁ。

キ:今よりも20代のときのほうが?

師:20代は風呂なしアパートだったから「今日のオレはクセーな」って思うことがよくあった。

キ:汗をかくことが多いであろう前座修行中に風呂なしはさすがにニオいそうですね。

師:だけど、この歳になるとニオイが気にならなくなる。というか、もうどうでもよくなっちゃう。

キ:完全におっさん的思考回路ですね。

師:うるさいよ。

キ:だけど、本人はそれでよくても、鈴木さんみたいに本人の周りは困っているんです。

師:もうさ、荒療治として部屋にもっとクサいものを入れておくのは?

キ:なんのために?

師:毒をもって毒を制すみたいなさ。

キ:例えば?

師:うんことか。

キ:小学生的思考回路……

師:うるさいよ。

キ:それだと単純にうんこクサい部屋をひとつ作るだけのような気がしますが…

師:理屈っぽいねぇ〜。

キ:もう少し真面目に考えましょうよ。例えば、お子さんとはよく遊ぶようなことが書いてありますが、子どもはニオイに関して気にならないんでしょうか?

師:どうなんだろう。鼻がバカになっちゃってんじゃないの? この旦那のDNAを半分持っているわけだから。

キ:こらこら。……お子さんがお父さんのニオイが大丈夫なら、もしかしたら奥さんの嗅覚のほうが敏感すぎるってことはありませんか?

タ:普通は、近親相姦を防ぐメカニズムで、血縁のある身内のニオイを本能的に嫌う傾向にあるっていいますけどね。

師:じつは、生き別れの兄妹だったとか?

キ:もしそうだとしたら、すごいことですよ…

師:でもオレは、ニオイを超えて旦那のことを尊敬している鈴木に敬意を示すよ。

キ:そうですね。ニオイってなかなか我慢できないですからね。

師:人が「クサい」と感じたときの顔の醜さったらないからな。そんだけ人間にとってニオイって耐えられないもんなんだよ。

キ:鈴木さんの、旦那さんへの愛の深さを感じます。

師:だからこそ、旦那には気持ちよく病院に行ってほしいじゃない。

キ:そうですね。

師:いきなり「病院に行きなさい」って言っても気分を悪くするだけだから。

キ:はい。

師:ここはちゃんと、鈴木がどれだけ旦那のことを好きで尊敬しているのかを伝えてさ、最後に「それでも私の鼻だけは、あなたのことを嫌いみたいなの。だからお願い、病院に行って」って懇願する。

キ:正攻法。いいですね。

師:だけど、旦那から「お前もクサい」って言われたりしてな。

キ:あはは。

師:でも、ここまでクサいって思えるニオイってそんなにないんだから、病院に行く前に旦那のニオイで遊んでみないともったいないよ。

キ:遊ぶ?

師:そう。例えば、ニオイだけを頼りに、どれくらいの距離なら旦那の存在を感じることができるのかとか試してみたらいいんだよ。ショッピングモールとかに行ってさ。

キ:はぁ…

師:楽しいよ。昨日は角を曲がったらニオイを感じなくなっていたのに、1ヶ月後には2ブロック離れてもしっかり旦那を感じることができるようになっているんだから。

キ:なりますかね…

師:なるよ! 毎日やれば。

キ:毎日かぁ……

師:そして、鈴木はこの遊びのなかで、あるとき気がつくと思うんだ。

キ:気がつく?

師:あんなに嫌がっていた旦那のニオイを、いつのまにかこんなに一生懸命探している自分に。

キ:なるほど。

師:想像もできなかった距離で旦那のニオイを感じたときの喜び!

キ:高揚感!

師:旦那のニオイで心がワクワクするなんて、今は想像できないだろうけどな。

キ:旦那さんもますますニオイが出るように努力しちゃったりして。

師:互いに努力しあってこその…

キ:新記録!!

師:……いやだな、そんな夫婦愛は。

キ:……ですね。

師:まぁそこまでしなくても、世界のクサいものを一堂に会してさ、「クサい相撲」を開催してみるのも面白いよ。

キ:クサい相撲?

師:「クサい番付」もつくってさ。もちろん横綱はシュールストレミング!
【編集部注】シュールストレミング…おもにスウェーデンで生産される、ニシンの塩漬けの缶詰。保存食の缶詰とちがって缶の中で発酵を続けさせるため、発生したガス圧で缶が膨らむ。「世界一くさい発酵食品」としてギネスブックも認定。

キ:よく罰ゲームで出てくる缶詰ですよね。スカンクもすごいらしいですよ。
【編集部注】…スカンクは身を守るために強烈な悪臭のおならを発射して逃げるという描写がよくありますが、実際は肛門の脇からガスではなく液体を噴出します。

師:ニオイがつくと1週間は取れないっていうもんな。案外、旦那の屁はクサくなかったりしてな…

キ:それはものすごくガッカリですね。

師:そこをいくと納豆とかは前頭15枚目くらいか。

キ:ブルーチーズもそれくらいでしょうね。……くさやはどうですか?

師:前頭筆頭はいくんじゃないか?

キ:それでも前頭筆頭かぁ…まだまだ上がいるんですね。

師:それで最後に「あなたのニオイもまだ関脇どまりね」なんて言ってみんなで笑ってさ。それじゃあ一緒に病院行こうか…って

キ:旦那さんのニオイは、くさやよりキツかったんですね……ふう、でもやっと病院に。

師:ただ、鈴木はそれでいいの?

キ:ん?? 病院に行くってことがですが?

師:いや、旦那が無臭になってしまうこと。

キ:いいんじゃないんですか? こんなに困っているんですから。

師:バカ! だからキッチンは浅はかなんだよ。

キ:え、ええーッ!?

師:鈴木には、いつか必ずこういうときが訪れる。

キ:……どんなとき?

師:無臭の旦那に寄り添いながら、昔のニオイを無性に嗅ぎたくなるときが…

キ:だって、すごく嫌がっているんですよ、今。

師:それが愛っていうもんだよ。

キ:あ、愛ですか…

師:そう。ニオイが思い出になる頃には…もう嗅げないんだよ。

キ:まぁ、そう言われるとなんだか切ないですけど、悪臭ですからね。

師:おい! サラッと言葉が過ぎるぞ!!

キ:あっ、すみません。つい…

師:だから医者には最初にこう言うべきなんだ。

キ:医者に…

師:「ニオイを3分の1は残しておいてください」と。

キ:は?

師:医者もポカーンとするだろうな。

キ:ですよね。

師:でも、あなたはいつかきっとこう思うだろう!

キ:……

師:「もう二度と、あのニオイは嗅げないんだ……」と。

キ:そうですかね…

師:だからあえてオレは鈴木にもう一度言う。「3分の1は、とっておけ!」と。

 

師いわく:
0.33とっておけ

(師の教えの書き文字/春風亭一之輔 写真・構成/キッチンミノル)※複製・転載を禁じます。

 

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プロフィール

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撮影/川上絆次

(左)春風亭一之輔:落語家

『師いわく』の師。
1978年、千葉県野田市生まれ。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。前座名は「朝左久」。2004年、二ツ目昇進、「一之輔」に改名。2012年、異例の21人抜きで真打昇進。年間900席を超える高座はもちろん、雑誌連載やラジオのパーソナリティーなどさまざまなジャンルで活躍中。

(右)キッチンミノル:写真家

『師いわく』の聞き手。
1979年、テキサス州フォートワース生まれ。18歳で噺家を志すも挫折。その後、法政大学に入学しカメラ部に入部。卒業後は就職したものの、写真家・杵島隆に褒められて、すっかりその気になり2005年、プロの写真家になる。現在は、雑誌や広告などで人物や料理の撮影を中心に活躍中。

●メール大募集●

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iwakuichinosuke@shogakukan.co.jp

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初出:P+D MAGAZINE(2019/10/21)

『82年生まれ、キム・ジヨン』の翻訳者・斎藤真理子が語る、韓国文学の根底にあるものとは。韓国文学に触れることは、明日の日本を考えるメルクマールになる。 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:斎藤真理子(翻訳者)
又吉直樹さん『人間』