思い出の味

思い出の味 ◈ 高瀬隼子
中庭のスイートポテト 十歳の頃だったと思う。小学校で祭りがあった。五、六年生が中庭で手作りの店を出し、下級生がお客さんになった。お店で使える通貨は葉っぱ。色がきれいだったり手のひらより大きかったりする、すてきな葉っぱを集めて持ってきた。一人五枚、という決まりだった。ダンボールの迷路に入るのに一枚、草の汁で染めたハガキを
思い出の味 ◈ 小川紗良
色とりどりの餅 我が家に冬を告げるのは、大量の餅だった。鹿児島のじいちゃん・ばあちゃんお手製の丸餅が、クール便でゴロゴロとやってくる。両親共働きで私は鍵っ子だったので、冷凍の餅は放課後の小腹を自分で満たすのに打ってつけだった。レンジで少し柔らかくなる程度に解凍し、トースターでぷっくり膨らませて焦げ目をつける。砂糖醤油に
思い出の味 ◈ 吉森大祐
ペヤング 八〇年代から九〇年代にかけて世界最強を誇った日本の家電業界は変革の波に乗り遅れると、衰退の一途をたどった。〇一年に iPod、〇七年に iPhone が発売され、同時期にテレビの薄型化が進んで基幹部品を韓国勢に握られると、ついに日本は業界の支配力を失い、当時世界で年間百五十兆円といわれた家電市場の多くを海外勢
思い出の味 ◈ 佐原ひかり
たこ焼き研究会 大学時代、私はたこ焼き研究会に所属し、会長を務めていた。プロ用の道具を揃え、秘伝のレシピを元に粉から生地を作り、月に最低でも二回は特訓を行い「至高のたこ焼き」を追求していた。と、これを言うと、「えー、ほんなら今度たこパやろうや」とその腕とレシピを期待され誘われることが多い。当然だ。でも無理だ。毎回食い気
思い出の味 ◈ いとうせいこう
交差する記憶 おふくろの味とよく言うし、自分の実家にもそれらしきものはある。例えば正月に母親が作る粕汁。酒粕の中にシャケの切り身が入っていて、大根や人参が溶けるくらい煮込んであってアツアツである。十数年前、それを私は「母の味」だなあとつくづく思い、レシピを聞いて自分でも正月料理にした。だがよく考えてみると、子供の頃の私
思い出の味 ◈ 安藤祐介
父と鱒寿司 私は徳島県の出身で、幼いころは長期休暇の度に、大阪で暮らす祖母のところまで遊びに行った。当時はまず船で和歌山に渡ってから電車で大阪に向かうルートが定番だった。船内には座席の他に、寝転がって過ごせるよう、床が絨毯張りになっている区画があった。その絨毯の上で、なんとなく即席の縄張りみたいなものを確保すると、父が
思い出の味 ◈ 河野 裕
父と鱒寿司 私は徳島県の出身で、幼いころは長期休暇の度に、大阪で暮らす祖母のところまで遊びに行った。当時はまず船で和歌山に渡ってから電車で大阪に向かうルートが定番だった。船内には座席の他に、寝転がって過ごせるよう、床が絨毯張りになっている区画があった。その絨毯の上で、なんとなく即席の縄張りみたいなものを確保すると、父が
思い出の味 ◈ 櫛木理宇
 まだ幼稚園児だった頃、喉の手術のためしばらく入院した。記憶にはっきり残っているのは「とにかく、おかゆがまずかった」ことである。塩のみのおかゆで、なのに肝心の塩味すらほとんどせず、ぐちゃぐちゃのどろどろだった。いまだにおかゆが好きでないのは、どう考えてもあの入院で毎日毎日しつこく食べさせられたせいだと確信している。
思い出の味 ◈ 五十嵐律人
 大学生の頃、働いて、辞めて、働いて、辞めてを、とあるイタリアンレストランで4回繰り返した。働いた総日数は約3年半。何度も辞めた理由は、よく覚えていない。勉強に集中したいとか、そんなつまらない理由だった気がする。大学生がアルバイトをする理由はさまざまだと思うけれど、僕の場合は単純に遊興費がほしかったからで、飲食店を選ん
思い出の味 ◈ 石田衣良
 思い出の味というと圧倒的に安価なたべものが勝利するのは、なぜだろう。一人前五万円もする鉄板焼きとか、冬のふぐ尽くしのコースとか、その手のご馳走はまず頭に浮かんでこない。まして、海外でたべたごにょごにょと長い名前のなんとか風のひと皿なんて、記憶のかなたに消えてしまっている。
思い出の味 ◈ 阿部暁子
 普段はあまり自販機を利用しないのだけれど、寒くなってきて自販機に赤マークの温かい飲み物が登場すると、ついつい買ってしまうものがある。昭和っぽいデザインの缶に『おしるこ』と独特の味のある筆書きフォントで描かれた、あんこの粒入りの、でもお餅は入ってない、アレだ。高校生の頃、部活(吹奏楽部でトランペットを吹いていた)を終え
思い出の味 ◈ 大沼紀子
 四十歳を過ぎたあたりから、時おり無性に五平餅を食べたいと思うようになった。五平餅というのは中部地方の山間部に伝わる郷土料理だ。中部地方の山間部は広い。そのため五平餅は、地域ごとに少しずつ姿を変える。草鞋型の胡麻だれや、円形の味噌だれ、団子型の胡桃だれ、なんてのもある。
思い出の味 ◈ 伊岡 瞬
 大学三年生の夏休みに、学友六人(全員男)で北海道を旅行した。移動手段は、メンバーの親から借りた都合二台の車だ。うち二名は、東北の実家に帰省中だったので、東京方面から北上する途中で合流する。ついでに、そのうちの一軒にひと晩泊めてもらうことになっていた。当時もおそらく今も、学生は節約旅だ。雨風がしのげて、
思い出の味 ◈ 望月麻衣
 デビューする前、私はまだ幼い子の育児に奮闘する専業主婦でした。子どもを幼稚園に送り出した後、執筆した作品を小説投稿サイトに掲載し、更新するのが何よりの楽しみという毎日。
思い出の味 ◈ 中山祐次郎
「馬鹿野郎、辛すぎんだよ」およそ医者とは思えぬ罵声で叱られたのは、駆け出し外科医だった30歳のころ。東京下町の救急病院で3ヶ月の修業をした。血の気の多い救急医たちに混じって、毎日運ばれてくる超重症の患者さんの救命にあたる。
思い出の味 ◈ 道尾秀介
 あれは忘れもしない小学三年生か四年生かそのくらいの頃、友達数人といっしょに禁断の果実を食いまくったことがある。校庭の隅に植わっているビワの木が、毎年夏になると実をたくさんつけるのだが、絶対に取ったり食べたりしてはいけないと朝礼で言われていたのだ。
井上荒野さん
「あぶたま鍋」もしくは「とりたま鍋」と呼んでいた。どちらだったかも、もうわからない。母がどこかで覚えた鍋だった。ほとんど家から出ない人だったから、雑誌か何かでレシピを見たのか、あるいは父と一緒に食事の招待を受けるという年に数回程度のめずらしい機会に、どこかの料理屋でそれを食べたのか。
思い出の味 ◈ 南 杏子
 英国人のソウルフード、フィッシュ&チップスは、私にとっても思い出深い食べ物だ。夫の留学に同行し、英国で長女を産んだ。慣れない英語でドクターやナースとのコミュニケーションに汗をかきつつ、夫と二人きりで育児に奮闘した。