新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!

新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!

「あ、しまった!」

「な、何だ? どうして出てこないんだ?」

「に、人間よ! 失敗だ! 妖術が失敗しちゃった!」

「え? どういうことだ?」

「ごめん! 失敗した。さっき食べた人が……死んじゃった。申し訳ない! 殴らないで! 頼むから、攻撃しないでよ!」

「何だと?」

 みんなが驚いた。まさか、失敗するとは。一万回も成功したのに、今になって。

 ずっと続けられてきた若返りの妖術は、初めて停止された。妖怪がようやく本性をあらわしたのではないかと疑う人もいた。

「失敗って? どうなったんだ」

「ごめん! 自分でもどうしようもないの。わざと失敗したんじゃない。信じて。どうか殴らないで! 攻撃しないで!」

「ううむ……。失敗の確率はどれぐらいなんだ。これまで一万人もうまくいったのに、どうして急に?」

「確率はよくわかんない。おそらく一万分の一ぐらいは失敗するんじゃないかな。ごめん!」

「一万分の一か……」

 一万人に一人でも死者が出るのが避けられないならば、人類は妖怪利用をやめるべきだ。

 しかし妖怪はすでに経済の大きな柱になっていた。妖怪を中心に行われることが、あまりにも多かった。

 順番を待つ人も、高いお金を払って整理券を買う人もたくさんいたし、整理券を売ってもうけようとする人たちも、かなりの数にのぼった。

 妖怪関連で成り立っている産業は、どうするのだ。妖怪によって国家が得る巨額の収入は、どうするのだ。

 妖怪利用を止めることはできない。人類は、死亡事故が起きた現実に顔をそむけた。

 死んだ人の家族をのぞいて。

「このバケモノめ! お父さんを生き返らせろ!」

「うわあ! 殺さないで! ごめん! わああ! 死にたくない! お願い!」

 包丁を持って暴れる人間から妖怪を守るのは、やはり人間だった。

「止めろ! 捕まえろ! あいつを止めろ!」

「あああっ! 放せ! おい、妖怪!」

「包丁を振り上げたぞ! 止めろ、止めろったら!」

 父親を失った息子は、手錠をはめられて連行されてしまった。

 人々は冷や汗をぬぐった。世界でいちばん弱い妖怪が、刺されて死んでしまいでもしたら……。

 それ以来、世界でいちばん弱い妖怪は、どんな王侯貴族よりも厳重に警護された。利用希望者は列に並ぶ前に保安検査台を通過しなければならず、金属類の持ち込みはいっさい禁止された。

 天使が舞い下りてきたとしても、これほど大事にはしてもらえないだろう。丁重な扱いを受けて、妖怪は再び活発に妖術を使った。

「わ! 失敗! 失敗だ! ごめん! また失敗しちゃった! ほんとにごめん!」

 今度は五千人ほど食べたところで死者が出た。

 人々はまたうろたえたけれど、国家がいち早く遺族を訪ねて補償金を支払い、復讐を未然に防いだ。

「ごめん! ほんとにごめん!」

「一万分の一と言ったじゃないか? どうなってるんだ」

「ごめん! 実は、こんなに休みなく妖術を使ったことがなくて、よくわからないんだ。ほんとにごめん! 殺さないで! 殴らないで!」

「ううむ……」

 五千分の一の確率で死者が出ても、妖怪利用を停止させることはできなかった。むしろ、前回より再開は早かった。

「うわ! また失敗だ! どうしよう? 人間よ、ごめん! 殺さないで! お願い! ぼくが悪かった! ごめん!」

「……」

 今度は三千人目ぐらいで死者が出た。

 国家はひとまずこの問題を検討することにした。妖怪との共存を続けてもよいのか。

 しかし、人々は要求の声を上げた。

「一刻も早く妖怪利用を再開しろ! いつまで停止してるんだよ」

「何でストップするんだ。私がこの整理券をいくらで買ったと思ってるんだね。あんたたちが弁償してくれるのか? え?」

「もうすぐ順番が回ってくるのに! 死ぬのが怖いなら勝手に抜ければいいでしょ。それでもいいという人だけが順番で利用すればいいじゃないの」

「死者が出たら、国家がさっさと隠せよ! 死亡事故のニュースのせいで整理券の値段がガタ落ちしちまった」

「妖怪利用が停止された場合に、国家が受ける経済的損失を数値化してみますと……」

 今ではもう、数百分の一の確率で死亡事故が起こっても妖怪利用は停止されなかった。

 世界でいちばん弱い妖怪は、世界でいちばん安全だ。

 核シェルター並みに頑丈な建物が建てられ、その中にいる妖怪には、どんな弾丸も通さない防弾設備が施された。そして優秀なボディーガードが二十四時間、水も漏らさぬ警護で妖怪の身辺を守っている。

 妖怪を利用する人たちは二重三重のチェックを受けた後、全裸で順番を待たなければならない。係員は彼らに目隠しをして縄で縛ってから、一人ずつ妖怪の前に連れていく。

 世界でいちばん弱い妖怪は、世界中の誰よりも安全だ。

 人間をいっぱい食べたけれど、世界でいちばん安全だ。これからも数えきれないほどたくさんの人間を食べるだろうが、世界でいちばん安全だ。

 世界でいちばん弱い妖怪は、世界でいちばん強い妖怪になった。

 

 



【好評発売中】

世界でいちばん弱い妖怪

『世界でいちばん弱い妖怪』
著/キム・ドンシク 訳/吉川 凪


 
キム・ドンシク
1985年京畿道城南生まれ、釜山育ち。中学校を1年で辞め(後に検定試験を受けて高卒の資格を取得)、職を転々とした後、06年からソウルの鋳物工場で働く。16年から始めたネットサイトへの投稿がきっかけで注目を浴び、17年12月に超短編集『灰色人間』『世界でいちばん弱い妖怪』『十三日のキム・ナム』3冊が同時刊行。同シリーズは21年3月、全10巻が完結した。これまで実際に書いた作品は約900編にのぼる。

 
吉川 凪(よしかわ・なぎ)
大阪生まれ。仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学専攻。文学博士。著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』、訳書としてチョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』、崔仁勲『広場』、李清俊『うわさの壁』、キム・ヘスン『死の自叙伝』、朴景利『完全版 土地』などがある。金英夏『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。

源流の人 第16回 ◇ 天真みちる (企画・脚本・演出家)
思い出の味 ◈ いとうせいこう