中森明夫(アイドル評論家)に「文学をやれよ」と呟いた中上健次
アイドル評論家として知られる中森明夫氏は、2010年に発表した作品『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島賞候補になるなど、純文学の作家の顔をもつマルチな作家。そんな氏に「文学をやれよ」と32年前に奨めたのが、中上健次でした。ここでしか読めない、2人の貴重なエピソードをご紹介します。
アイドル評論家として『午前32時の能年玲奈』等の著作で知られる中森明夫氏は、2010年に発表した作品『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島賞候補になるなど、純文学の作家の顔をもつマルチな作家です。
そんな中森明夫氏に「文学をやれよ」と32年前に奨めたのが、雑誌の対談で知り合った中上健次でした。
中上の遺志を継ぎ、毎年夏に新宮で開催される文学講座「熊野大学」に、彼の没後31年を経て初めて参加した中森明夫氏は、同時期に新宮で演じられた舞台劇『日輪の翼』(中上健次・原作)を感慨深げに鑑賞します。劇中半ば、突然流れた歌声のテープは、生前の中上が唄った都はるみの歌でした……。
中上が唯一、歌手をモチーフに描いた小説『天の歌 都はるみ』。今回、久々に同作を再読した中森氏は、「中上文学の神髄を語る」(8)―――「中上健次と都はるみ」の中で、中上健次について、中上文学について熱く語ります。
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1991年8月4日、熊野本宮大社旧杜地大斎原で開催された「都はるみ in 熊野神社」のプレイベントでの中上、都はるみ。(撮影・三島正)
中上文学の神髄を語る(8)
中上健次と都はるみ 中森明夫
2016年8月、私は和歌山県の新宮駅に降り立った。
「おまえ、一度、熊野へ来いよ」
作家・中上健次からそう言われてから、既に31年が経過している。なんとも感慨深い。
1985年、私は“新人類の旗手”と呼ばれた。25歳だった。「平凡パンチ」で中上健次と対談したのだ。中上はひと廻り上の38歳。強面の伝説多数の巨漢作家だった。殴られるんじゃないかとビビッていた。なぜか気に入れられ、対談後は河岸を変えて呑み明かした。
その夜、タクシーの後部座席で手を握られ、中上に言われた二つのことがある。
一つは「文学をやれよ」
もう一つは「熊野へ来いよ」
私が「新潮」巻頭に小説『アナーキー・イン・ザ・JP』を発表したのは、2010年春だった。初めて文学らしきものを書いた。三島由紀夫賞の候補にもなった。既に50歳になっていた。中上健次は1993年、46歳で亡くなっている。ああ、中上に私の小説を読んでほしかったなあ……と思った。
中上健次の享年より10も歳を取った私は、初めて彼の故郷・熊野の地を踏んだ。中上が創始した自主講座・熊野大学の夏期セミナーに講師として参加したのだ。中上健次生誕70年にあたるその年は〈次世代へ〉と題して若い参加者が多く、多彩でにぎやかなイベントともなった。クライマックスは、アーティストやなぎみわ演出による野外劇『日輪の翼』だ。新宮港を臨む緑地にその夜、本物の巨大トレーラーが到着した。荷台が大きな翼を広げると、老婆らが、若衆が、女たちが、異形の者らが次々と現れる。中上文学を大胆に換骨奪胎して、老婆らが歌い、若衆が踊り、女たちが艶めき、熊野の夜空を背景にきらびやかでめくるめく曲芸の数々を披露した。ああ、お祭り好きの中上健次がこれを観たら、きっと大喜びしたことだろう!
その時、突然、歌声が流れた。演歌だった。生前の中上の『アンコ椿は恋の花』の歌声だ……。思わず、ウルッときてしまった。
※
久々に『天の歌 小説 都はるみ』を読んだ。これで三度目だ。初読は、単行本刊行時の1987年秋だった。意外の感を覚えた。当時、中上は『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』の紀州サーガ三部作を書き終え、40代の純文学大作家となっている(ノーベル文学賞を取るんじゃないかとも言われていた)。それが現役の演歌歌手のモデル小説を発売するとは!
中上健次が実在の人間の名をタイトルとした小説を書いたのは、これ一作きりだろう。しかも、中上といえば数多くのジャズエッセイやジャズの鳴る小説で知られる(先頃、『路上のジャズ』と題して一冊の文庫にまとめられた)。それが、演歌! 日本を代表する演歌歌手・都はるみの半生を小説化するとは……何から何まで意外という他はない。
二度目に読んだのは、1990年代だ。私は週刊誌の巻頭ページで「ニュースな女たち」という連載をしていた。時代の女を篠山紀信が写真に撮り、私が文章を寄せる。そこに都はるみが出てくれた。1984年に歌手を引退した彼女は、その後、復帰する。目の前に現れた都はるみは圧倒的なオーラを発していた。大スターのオーラだ。気圧された私は、『小説 都はるみ』を再読して、既に亡くなっていた作家の言葉を援用することで、なんとか原稿を書いた。中上健次は都はるみの内奥に届く言葉を紡いでいる──という強い印象を持った。
そうして、ほぼ四半世紀ぶりに、このたび三度目の読書を終えた。これまでとまったく違った感慨を覚えている。これは奇妙な小説だ。たしかに歌手・都はるみの幼少期から、デビュー、引退に至るまでの軌跡を丹念に描いたモデル小説ではある。
だが、しかし……。
一人の著名な歌手の生い立ちから芸能活動までを記しているのだが、それがいったい、いつのことかわからない。いや、終盤には「ベトナム戦争」「オリンピック」「皇太子のご成婚」等の単語も散見して、ぼんやりとはわかる。しかし、○○年といった記述はまったくない。ことに幼少期から少女期に至る前二章は、まるで茫然としている。京都の西陣の小路に鳴り渡る、糸を紡ぐ機械の音。御地蔵があり、蛇の呪いがあり、それを祓う銀のかんざしがある。幼い春美は、いないはずの「もうひとりの、本当の女」の歌を聴き、常に自らの分身の姿を幻視している。これは、いったい何だろう? さながら神話の中の世界だ。現実と地続きでありながら、異界へと通じる『千年の愉楽』とも近しい路地の幻想物語のよう。
都はるみその人の実体験にどこまで忠実なのだろう? どうしても、そんな疑念がわいてくる。御本人の言葉に耳を傾けてみよう。
「『天の歌 小説 都はるみ』が出版されたのは1987年のことです。中上さんが私をモデルに書いてくださった伝記小説です。実のところ、執筆のための改まったインタビューなどはお受けしていないんですよ。唯一取材らしきことをしたとすれば、私の生家が見たいとおっしゃるので、一緒に京都に行ったくらい。まだ父が住んでいたので訪ねていったのですが、あいにく留守にしていて、入れなかったんです。中上さんは我が家の外観だけを見て『ふうん、こんなところに住んでいたのか』と、それだけ。(略)思い返してみても、詳細に私自身の生い立ちや少女時代をお話した記憶はないんです」 (都はるみ「Kotoba」2016年冬号)
これは驚きである。さらにこうも言う。
「『天の歌』はドキュメンタリーではなく、中上健次さんによる“都はるみ伝”ですから。とはいえ中上さんのお書きになった文章を読むと、『ああ、確かにあのときの私はそうだったのかもしれない』と思わされるんですよ。自分のことは自分が一番よくわかっているはずなのに、本当に不思議です」
インタビューの章題には〈私の心さえ衝く『天の歌 小説 都はるみ』〉とあった。なるほど、これこそが小説の力ではないか! 中上健次の筆だけが持つ魔力のようなものを感じて鳥肌が立った。中上は歌手を取材してモデル・ストーリーを書いたのではない。いや、自身の筆で“都はるみ”を生きたのだ!!
圧巻は、最終章の引退コンサートの場面である。読み返して、唖然とした。具体的な描写がまったくない。都はるみがどんな着物を身に着け、どんなメイクで、どのような舞台装置で、どんな所作で唄ったか、まるで書かれていない。
「月並な歌手の青春と同じ青春が、見る人が見れば日本近代百年を代表する大歌手になる資性をそなえた春美にもあり、春美は月並というものにあこがれるように、今、歌の向うにいる。客やファンたちは、歌の向うの、冷たい鬼火だけが足元で燃えているようなところで、死者の魂が周りに礼を言い浮遊するように、有難うとさようならを言う為にだけ、アンコールを歌っている春美に、そこに居るな、こちら側に戻ってこい、と言うように、声を上げ続けている。(略)ファンの一人一人は、春美が徴つきの歌手だから一層、徴に苦しみ、徴に泣くのを知っていた。徴こそ春美の歌が万人の心を揺さぶり、打ち、どんな固い心の扉でも開けてしまう力だった」
中上健次以外の誰にこんなライブシーンが描けたことだろう。さながら、天女の昇天する場面のよう。いや、圧倒された。
※
出逢ってから31年目にして、初めて訪れた中上健次の故郷・熊野。高台の緑に囲まれた墓地へ行くと、ゴツゴツした巨岩の真ん中に自筆の署名がある。あのゴツゴツした風貌のやさしい瞳をした男を思い出した。
手を合わせる。
中上さん、遂に熊野へ来ましたよ。
あなたは、僕にとって……そう、文学そのものでした!
と呼びかけた。
中森明夫 Akio Nakamori
作家、アイドル評論家。三重県生まれ。 1980年代から多彩なメディアで活動する。著書に『アイドルにっぽん』『東京トンガリキッズ』『午前32時の能年玲奈』『アイドルになりたい!』、共著に『AKB48白熱論争』等。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』が三島由紀夫賞候補となる。
「都はるみ in 熊野神社」コンサート告知ポスター(撮影:三島正)
おわりに
中森明夫氏は、中上没後31年を経て、中上文学の主たる舞台となった故郷新宮を訪れました。
中上との思い出が去来する中、舞台『日輪の翼』の劇中、突然、中上が歌う『アンコ椿は恋の花』の肉声が流れてきました……。
『アンコ椿は恋の花』は中上が生前その歌声に惚れこんだ都はるみの代表曲でした。
その僥倖が『天の歌 都はるみ』の再読につながり、今回の寄稿につながったのでしょう。
中上は、演歌からジャズまで幅広く音楽を愛した作家でした。音楽に纏わる中上の著作、発言を収録したのが、中上健次 電子全集14『ジャズと演歌と都はるみ』です。
中上健次 電子全集14『ジャズと演歌と都はるみ』
「浪花節とクラシックの奇跡的な綜合がジャズだ」と語る中上の音楽観とジャズへの思い、“友”都はるみとの交友を描く。 『天の歌 小説 都はるみ』は、現代の歌姫に捧げられた半生記的実名小説。中上健次と都はるみは、作家と歌手という仕切りを越えて人間として親密な友愛を育んだ。中上は「普通のおばさん」に戻りたいと芸能界を去った都はるみの、歌手復活の影のプロデュ-サーでもあった。文学と芸能が上下の関係にないように、中上に浪花節(なにわぶし)とクラシックも横並びにある音楽ジャンルであり、一方が大衆向けの俗謡で、他方が高尚な西洋音楽なのではなかった。上京後、ジャズにのめり込むようになったのは、そこに2つの音楽ジャンルの綜合が奇跡的に実現されているように思われたからだと、そのユニークな発見の経緯を語っている。バッハのブランデンブルク協奏曲を聴きながら、代表作『枯木灘』を書いたという中上は、芸能、文化から政治、経済まで縦のヒエラルキーを横に倒すことで、ラディカルな価値転倒を試みた。都はるみとは、そうした方法意識を実践した作家が出会った同時代の貴重な「タレント」だったのである。 同巻に収録されている対談『ジャズと爆弾』の相手、村上龍は、6歳下の芥川賞作家。中上の切り開いた、「戦後文学」の突破口を彼は別の方法で押し広げたと言えるだろう。
初出:P+D MAGAZINE(2017/06/21)