【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第13話どえむ探偵秋月涼子の忖度
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「あなたたち、これでおしまいですわ。覚悟なさい」と、涼子が両方の腰に手をやって、大威張りで宣言した。
「なんだ、お前は?」と、かすれた声で言ったのは三白眼か。
「お尋ねなら、教えてさしあげます。あたし、少女探偵、秋月涼子です! 今夜は汚らわしい痴漢退治にやってきましたわ!」
うん、偉い。ここで「ドM探偵」などと名乗らなかったのは偉いぞ──とは、真琴さんの心の声。だが、涼子、お前も三月になれば二十歳で、もう「少女」とは言えなくなるが、そうなったらどうする?
「証拠があるのか?」
「そうだ、俺たちは、だれも痴漢なんてやってないぞ」
「俺たち自身が証人だ。だれも、あんたに指一本、触れてない。なあ、そうだろ?」
「そうだ、俺はこの二人がじっと立っていたのを見ていた」
「俺もだ」
「冤罪だあ」
──と、三人組が口々に叫ぶ。真琴さんのときと、同じ調子だ。
「証拠はありますわ」
「あるなら見せてみろ」
「ちょっとお待ちなさい」
そう言うと、涼子はいきなりスカートを下ろし始めた。
「涼子、なにしてる? やめろ」
「大丈夫ですわ、お姉さま。この下に、ちゃんと着込んでいますのよ」
「そう……なのか?」
たしかに、そうだった。長いスカートの下に、ショートパンツをはいていた。だが、それだけではない。ショートパンツの上に、股間と太腿を、なんだかぬめぬめした感じの白い塊が覆っている。その下には、なにか銀色の金属のようなものが見えた。
「シリコンのパッドを、布で包んだものですわ」
そう言うと、涼子は股間からそれを取り外して見せた。すると、ショートパンツの上に、銀色のアルミでこしらえた、鎧のようなものが被さっているのが見えた。
「この鎧、和人くんのお手製です。あの人、とっても器用ですわ。でも、サイズが合っていないから、ぶかぶかですの。それから、お姉さま、これ……ちょっとさわってみてごらんなさい。ぷにぷにして、ちゃんと人の肌の感触でしょう? この感じを出すのに、苦労いたしましたわ」
なるほど、指先で触れてみると、たしかに人肌の弾力がある。
「この痴漢のおじさまたち、これをまさぐって喜んでいましたのよ。おばかさんですこと」
涼子は、上半身にも同じ仕掛けをしていた。セーターを脱ぐと、白いシャツの上に銀色のアルミのブラジャー、その上にシリコンを布で覆った偽物の乳房が貼りつけられていた。
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「そ……それで、それがどうしたっ」と、薄ハゲが叫ぶ。
「そんなものが、証拠になるかっ」
「それが、ちゃあんと証拠になりますのよ」と、涼子。
「この布には、でんぷん糊をたっぷり塗ってありますの。これをさわったおじさまたちの指には、そのでんぷんが付着していますわ。ところで、ご存知? でんぷんは、ヨウ素液をつけると、反応して紫色になりますのよ」
そう言うと、あたりを見回すようにして、
「どなたか、ヨウ素液をお持ちの方、いらっしゃいませんこと?」
「いるか、そんな奴」と、三白眼が吐き捨てる。
ところが、ちゃんといたのである。
「はいはーい、ここに持ってますよー」
と、どこか間の抜けた、のんびりした声が聞こえてきた。和人くんの声だ。液体の入った小瓶を片手に持って、うれしそうに振り回している。この子は本当に、どこかしら世間を舐めたようなところがある。
和人くんは、痴漢たちの指に、ヨウ素液を順に塗りつけていった。痴漢たちはもちろん抵抗したが、屈強な若者たちに押さえつけられてどうすることもできない。無理矢理に拳を開かれていく。その間、逆らう痴漢たちの腹を和人くんが何度か殴りつけるのを、真琴さんはたしかに見た。目がきらきらと輝いていた。以前から思っていたが、和人くんの根っこは、やはりSなのだ。
薄ハゲと三白眼の指は、濁った紫色に染まったが、メガネ豚の指だけは、反応がなかった。すると、和人くんは、ポケットからもう一つ小瓶を出し、その中に入っている液体を筆で塗り付けた。真琴さんは今度もはっきり見たのだが、その小瓶には、間違いなく最初から紫色に濁った液体が入っていた。
「インチキだ。これ……最初から紫色だった」
メガネ豚が、高い声でキーキーとわめいた。
「えっ? ぼく、そんなことしました?」
「いや、しなかったっす」と、(和人くんの連れてきた)男子の一人が答えると、次々に――
「どれも同じだったよ、なあ?」
「そうそう、俺が見ている前で、透明なのが紫になったもん」
「さあ、これではっきりしましたわ」と、涼子が片をつけた。
「あとは、このまま警察に突き出すだけです!」
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どうもおかしい──と真琴さんは、さっきから思っている。この騒ぎのあいだに、電車は三つほど駅を過ぎたのだが、その度ごとに何人かの人が乗りこんでくる。そのせいで、車両の中は混んでいるとまでは言えないが、かなり人が増えてきた。このあいだは、そんなことはなかった、ずっと電車は空いていたままだった。
「警察って言うんならなあ、そこの暴力女だってえ、突き出してもらうおうじゃないかあ」
そんな声が聞こえた。薄ハゲの声だ。見ると、真琴さんのほうをじっとにらんでいる。
「その女は、俺に目つぶしをー、したんだからなあ。俺は……俺はあ、被害者だ、被害者なんだよお」
ぼんやり見ていると、ふいに横腹をつつかれた。耳元で、涼子の囁く声がした。
「お姉さま、出番ですわ。台本、覚えてますでしょう?」
そうだった。痴漢たちが目つぶしのことを言いだした場合、真琴さんのしゃべる言葉が、ちゃんと用意されていたのだった。
「ええっと。あれはですね……」
真琴さんの記憶力は、非常に優れている。すらすらと言葉が続く。あまりにもすらすらと続きすぎて、かえってわざとらしかったかもしれない。
「わたしも先日、この人たちから痴漢行為を受けたんです。とても怖くて、なんとか逃げ出そうと、思わず腕や足を振り回してしまいました。そのとき、たまたま目に指が当たるということも、あったかもしれません」
「噓……嘘だあ、あれは、絶対にわざとだあ」
薄ハゲがまたわめいたとき、横合いから別の声がした。
「ちょっとすみません。ぼくたちはたまたま乗り合わせた、聖風学園文化大学の空手部のものですが……」
見ると、さっきまではたしかにいなかった五人ほどの若い男たちだった。一つ前の駅から乗ってきたのだろう。
「わざと目つぶしをされたって、この人は言っていますが、それはちょっと信じられないですねえ。長年空手をやっていても、実戦で目つぶしなんて、そうそう決まるものではないんです。たまたま目に当たったっていうのが、本当でしょう」
「なるほど」と、涼子。
「専門家がそうおっしゃるなら、間違いはなさそうですね。それに、そもそも痴漢をしたほうが悪いのは、明らかですもの。たとえ目に指がちょっと入ったとしても、そんなの正当防衛ですわ」
「なにが正当防衛だ。こっちが訴えてやるからな」と、メガネ豚がわめいた
「ちょっと失礼します」と、また、別の声がした。今度は六十歳くらいの紳士風の男。
「今、正当防衛だとか、訴えるだとか聞こえましたが……ああ、わたし、たまたま乗り合わせた弁護士でして……なにか穏やかならぬお話だと感じましてね……こういうときは、まずはお互いにきちんと姓名を明らかにしたうえで、冷静に話し合うのが一番です。あ……わたし、山村と申します。そちらのお嬢さんは……?」
「あら?」
涼子が、頓狂な声をあげた。
「どうなさいました?」
「あらあらあら?」
「ですから、どうなさいました?」
「山村先生じゃありませんか。いつも父や祖父がお世話になっております」
「おっ。これは、秋月さまのお嬢さん、お久しぶりです。お美しくなられましたなあ。少し変わった格好をなさっているようですが……で、これはどういった話なんです?」
「先生、御覧になって。この三人の方たち……痴漢なんです。そして、こちらのきれいな方、新宮真琴さまとおっしゃるんですけど、涼子、とっても親しくさせていただいていますの。この方が先日、この三人から痴漢の被害にあわれて……」
「ふむふむ」
「それで今日は、涼子が囮になって、たった今、痴漢の証拠をつかんだところなんですの。それでね、山村先生、この新宮さまがこの方たちを相手に裁判を起こすとしますね……先生は、その代理人を引き受けてくださいますかしら」
「それは、正式に依頼があれば……」
「さ、裁判だとっ」
三白眼が呻く。
「そんなこと……できるもんか」
「いや、訴えることは、誰にでもできますよ。権利ですから」と、弁護士は答えた。
「ただ、どんな判決が出るかは、また別ですが……」
「でも、先生なら、どんな裁判にだって勝てますでしょう? だって、これまでずっと……」
「たしかにわたしは、ほとんどの裁判で勝っていますがね」
ひーっと聞こえる、妙な声が響いた。どうやらメガネ豚の声らしい。泣き出したようだ。
「まあ、とにかく、お互いに名乗りを上げてから、冷静に話し合うことですねえ」と、弁護士は、さっきと同じようなことを繰り返した。
「あなたがた、お名前は?」
痴漢たちは、押し黙っている。だが、涼子のほうは黙っていなかった。
「それも、ちゃんともう、調べはついています」と、一人一人を指さしながら
「この少し髪の薄いおじさまの名前は……」
よどみなく三人の名前を呼びあげる。痴漢たちが茫然として黙り込んだのは、それが当たっているからだろう。最後に、涼子は高らかに言った。
「お勤め先も、突き止めてあります。三人とも、M──株式会社の社員さんですわ!」
「なんですって!」と、同じくらい高らかな声が響いた。蘭子さんの声だった。