◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 後編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 後編

佐藤玄六郎は蝦夷地から江戸に戻る。
勘定奉行の松本秀持の目を引いたものは──。

 南に延びた火の手は、道灌堀、貝杓子店、照降町、小網町、箱崎、永代橋までを焼き、飛び火して相川町、富吉町、北川町、蛤町、やぐら下、仲町通り、八幡前までを焼いた。佃新地、洲崎までを焼き、寅刻(午前四時ころ)になってやっと鎮火をみた。

 この大火によって六万軒余の町家が焼失したと語られた。三百軒余の旗本屋敷と大名衆の江戸屋敷も十数軒が焼け、田沼意次の中屋敷を始め、大老格の井伊直幸(なおひで)中屋敷、老中水野忠友の中屋敷も被災した。

 大火災は世情を不安におとしいれ、火事場泥棒の話ばかりか、押し込み強盗による放火の噂まで流れた。田沼政権の無能無策によって江戸の治安すら危うくなったとの印象をいよいよ深めた。

 

 正月二十五日、加瀬屋伝次郎は、火事見舞いに湯島坂下まで「八吉(はっきつ)」の伊奈次(いなじ)を訪ねることにした。読売によれば湯島坂下町は焼けなかったようだったが、大火の際には実際に行ってみなければわからないものだった。伝次郎は伊奈次に会って確かめたいことがあった。

 幸いにして伊奈次も古道具屋の店も無事だった。伊奈次は、色白の顔を上気させ珍しく涙ぐんで出迎えた。音を立てて燃え上がる町家を間近に見た恐怖が伊奈次の表情に残っていた。

 伊奈次は長崎からの茉莉花(ジャスミン)茶を蝶の透かしが入った白磁の茶碗で供した。

「以前店に飾ってあった蝦夷錦は売れたのかい。緑の地に竜をあしらった」

「ああ、あれでございますか。はい。お蔭様でお客様がお見えになりまして」伊奈次はそう答えた。

「ああいう蝦夷地産物を江戸へ流している大坂商人は、木村なにがしとか、言ってなかったかい」

「はい。木村吉右衛門とか。何でも稼業は造り酒屋とかで、屋号は確か坪井屋、大坂の町年寄も勤める大人(たいじん)と耳にしました。昨今は江戸の商人も、蔵前の札差(ふださし)で大口屋とか、鉄砲洲(てっぽうず)の材木商栖原屋(すはらや)とか、船を送って蝦夷地商売に手を出している方がおりますそうで」

「大坂の木村蒹葭堂(けんかどう)という号の商人は聞いたことがないか」

「はい。その木村吉右衛門の号とうかがいましたが……」伊奈次は怪訝そうに答えた。

「いや、大坂に木村蒹葭堂という評判の博識がいて、そういえば伊奈次さんが蝦夷地産物を売りさばく木村なにがしという大坂商人の話をしていたと思い当たったまでだ」

 去年の早春、丸屋が大槻玄沢の長崎行きを伝次郎に話した折、大坂に木村蒹葭堂という博識がいて、大槻玄沢もその人物を訪ねると、しきりにうらやましがっていた。木村蒹葭堂なる人物は、書画骨董や珍品奇物を片っ端から買い集め、それらの考証に余念がないと丸屋は言っていた。蒹葭堂は、島々の地理や異国への道筋にも詳しく最新のオランダ版による世界全図も持っていたが、それは江戸の書肆(しょし)須原屋が大金を支払って買い取り、ついには紀伊の徳川重倫(しげのり)の手に渡ったという。

 木村吉右衛門は、大坂の町年寄という公職につきながら裏で蝦夷地に船を送り、蝦夷錦やら青ガラス玉など異国産物を買い入れては売りさばいて大金を造り、高価な書画骨董やら珍品奇物の類を買い集め、時には大名や豪商相手に商売をやり、同時に諸方の名士を集っては考証探究をやっている。蝦夷地産物とは表向きの呼称で、オロシャの品や山丹からの中国産物の密輸入にほかならず、ひとつ間違えれば抜け荷の大罪に問われ遠島に処されかねない。世の中には胆のすわったたいした人物がいるものだと、久々に伝次郎も心が晴々とするのを覚え、思わず笑いがこぼれた。

(連載第9回へつづく)
〈「STORY BOX」2019年10月号掲載〉

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

鈴木健一『不忍池ものがたり 江戸から東京へ』/上野の池をめぐる歴史と文学を、活殺自在に描き切った労作
◎編集者コラム◎ 『錯迷』堂場瞬一