黒鉄ヒロシ

伊勢物語
著/黒鉄ヒロシ 発売日:2019-06-06

マンガで読む。巨匠で読む。「伊勢物語」

 「伊勢物語』の構成は歌と散文とに分けられるが、全てが歌であり散文である、とも言えるのではなかろうか。 主人公、昔男、すなわち在五中将、実在の六歌仙の一人、つまり在原業平となるが、業平のようで、業平でない。 その背中に、貴方と、君と、僕を乗せて人の無常を荷物として、恋路を旅する理想の男として『伊勢物語』の世界を駆け抜ける。 『古今和歌集』仮名序の業平の歌の評、「その心あまりてことばたらず」に対して、「細(こま)いこといいなさんな」とばかり、陽気な雲としてぽかりと浮かぶ、言葉足らず故の迫力と説得力と愛嬌は、『伊勢物語』の血となって全編を駆け巡る。 「ごちゃごちゃいわんで楽しみなはれ」と業平雲は女山の胸を越え、太股(ふともも)谷をわたり、老いの坂を越して、「つひにゆく道」へと繋がっていく。 しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし。 怪しの香を残して、『伊勢物語』は閉じる。 百年後に「言葉足らず」の業平は、『源氏物語』の光源氏として生まれかわり、『伊勢物語』の残り香はしぼめる花の中へと忍び入って、内から花弁を押し開くと、今一度しっとりと咲いてみせるのである。 黒鉄ヒロシ(本文より)

抱腹絶倒してしんみり。交友エッセイの名品

 全9章構成。吉行淳之介 阿佐田哲也 尾上辰之助(初代) 芦田伸介 園山俊二 柴田錬三郎 秋山正太郎 近藤啓太郎 生島治郎 脇役も多士済々。著者が名エッセイストである証拠に、吉行淳之介の章から一場面をご紹介。 《いかなる経緯からか、膣外射精の話となり、何気なく「あれは妊娠の怖れがありますからね」と口を挟むと、卓上の三人の手が止まった、ように感じた。視線を牌から上げて御三方のご尊顔を拝し奉ると、各様に眉を上げたご表情。/(……)「いえ、あの、先っぽがちょいと濡れますところの、カウパー線液とやら言うんでしたっけ? あの中にも精子が含まれておりまして……/聞き囓りの、我が膣外射精危険説は却下された。/「数十年、その枝に頼りしも、我、かくなる仕儀と相成りしことの一度としてあらざるなり」「阿呆も休み休みに」。/翌日、「あー、吉行です。昨夜の膣外射精野郎は、そのうち手痛い目に遭いますな。いや、貴君が正しい、正しい」。/医者に確かめたのだという。/(……)/感心を通り越して、嗚呼、ぼくは凄いサロンに身を置いているのだなと、見開いた目の中を多数の精子があっちへ行ったりこっちへ来たり。》

小学館文庫シリーズ